合戦絵巻 ─ 三十年戦争 勢力図

ブライテンフェルトの戦い

1631年9月17日 / ザクセン(いまのドイツ) ライプツィヒの北

9月17日 昼

砲撃戦

1粒=約100人

1631年9月17日、ドイツ東部のライプツィヒの北のブライテンフェルトで、スウェーデン王グスタフ・アドルフの軍が、ティリーの率いるカトリック連盟・皇帝軍を破った。重く大きな方陣で押しこむ皇帝軍を、小さな部隊に分かれて素早く動くスウェーデン軍が打ち破った。プロテスタント側の初めての大勝利で、戦い方の新しい時代を開いた戦いでもある。

上の観戦プレイヤーでは、スウェーデン軍(グスタフ・アドルフ)約2万とザクセン軍約1.6万とカトリック連盟・皇帝軍(ティリー)約2.8万、あわせて約6.4万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

スウェーデン軍(グスタフ・アドルフ)
約2万
ザクセン軍
約1.6万
カトリック連盟・皇帝軍(ティリー)
約2.8万
いつ
9月17日 昼 → 結果

なぜ戦ったのか

三十年戦争の前半、皇帝とカトリックの側は勝ち続け、デンマーク王も敗れて手を引いた。1629年、皇帝はプロテスタントが手に入れた教会の領地を取り戻すよう命じ、プロテスタントの諸侯は追いつめられた。

1630年、スウェーデン王グスタフ・アドルフが、プロテスタントを守ることと、バルト海の支配を広げることを目指して、ドイツ北部に上陸した。フランスも、ハプスブルク家の力を弱めるため、カトリックの国でありながらスウェーデンにお金を出した。

1631年5月、ティリーの軍はプロテスタントの町マクデブルクを落とし、町は焼き払われて数万人が亡くなった。この惨事に怒ったザクセン選帝侯がスウェーデンと手を結び、両軍はライプツィヒの北でティリーの軍と向かい合った。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

19月17日 昼

砲撃戦

ライプツィヒの北の平原で、両軍は2時間半にわたって砲撃を交わした。スウェーデンの大砲は軽くて数が多く、皇帝軍の3倍の速さで撃ったという。

2午後

パッペンハイムの突撃

待ちきれなくなった左翼のパッペンハイムが、騎兵でスウェーデン軍の右翼に7回も突撃した。スウェーデン軍は騎兵の間に銃兵の小隊をはさみ、突撃のたびに一斉射撃を浴びせて退けた。

3午後

ザクセン軍の逃走

ティリーの右翼の騎兵と大方陣がザクセン軍に攻めかかると、戦いに慣れないザクセン軍は崩れて逃げ出した。スウェーデン軍の左側面ががら空きになった。

4夕方

素早い向き直り

スウェーデン軍の左翼の小さな部隊はすぐに向きを変えて、ティリーの大方陣の側面に立ちふさがった。右翼ではグスタフ・アドルフ自ら騎兵を率いて皇帝軍の大砲を奪い、その大砲で方陣を撃った。

5夜

ティリーの敗走

一度も負けたことのなかった老将ティリーは、傷を負って退いた。皇帝軍は約7600人が死に、約6000人が捕虜となった。

6結果

ブライテンフェルトの戦いの結果

プロテスタントの初めての大勝利で、グスタフ・アドルフは「北方の獅子」と称えられた。小さな部隊と大砲・銃・騎兵を組み合わせる戦い方は、ヨーロッパ中に広まった。

勝敗を分けたもの

小さく分かれて素早く

皇帝軍は、槍兵と銃兵を何千人もまとめた大きな方陣(テルシオ)で戦った。スウェーデン軍は、小さな部隊に分かれ、槍兵・銃兵・騎兵・大砲を組み合わせて素早く動けるようにしていた。

軽い大砲

スウェーデン軍は、数人で動かせる軽い連隊砲を多く持ち、皇帝軍の3倍の速さで撃ったという。大砲を歩兵と一緒に動かし、戦場のどこでも使えるようにした。

崩れても立て直す

ザクセン軍が逃げ出して左側ががら空きになっても、スウェーデン軍の小さな部隊はすぐに向きを変えて立ちふさがった。王は自ら騎兵を率いて皇帝軍の大砲を奪い、その大砲で方陣を撃った。

主な武将とその後

グスタフ・アドルフスウェーデン軍(グスタフ・アドルフ)

スウェーデン王。軍の仕組みを改め、「北方の獅子」とたたえられた。翌年のリュッツェンの戦いで戦死する。

ティリーカトリック連盟・皇帝軍(ティリー)

カトリック連盟・皇帝軍の司令官。72歳で、それまで大きな戦いで負けたことがなかった。この戦いで傷を負い、翌年、別の戦いで受けた傷がもとで亡くなった。

パッペンハイムカトリック連盟・皇帝軍(ティリー)

皇帝軍の騎兵の勇将。待ちきれずに突撃をくり返したが、スウェーデン軍に退けられた。

合戦のあと

皇帝軍は約7600人が死に、約6000人が捕虜となった。スウェーデン軍はドイツの南へ進み、翌年にはバイエルンにまで攻めこんだ。追いつめられた皇帝は、いったん解任していた名将ヴァレンシュタインを呼び戻すことになる。

スウェーデン軍の戦い方は、ヨーロッパ中の軍に広まった。ブライテンフェルトは、近代的な軍隊の始まりを告げる戦いともいわれる。

諸説と論点

「軍事革命」

小さな部隊と火器を組み合わせるスウェーデン軍の戦い方は、16〜17世紀の「軍事革命」の代表例とされる。ただし、その多くはオランダのマウリッツが始めた改革を受け継いだものだった。

関連年表

1618年三十年戦争が始まる
1629年皇帝が復旧勅令を出す
1630年7月グスタフ・アドルフがドイツに上陸
1631年5月マクデブルクの破壊
1631年9月17日ブライテンフェルトの戦い
1632年11月リュッツェンの戦い。グスタフ・アドルフが戦死

両軍の陣容

スウェーデン軍(グスタフ・アドルフ)約2万

部隊兵力その後
グスタフ・アドルフの本隊(小さな隊)約15,000
スウェーデン騎兵と銃兵(右翼)約5,000
軽い連隊砲連隊砲

ザクセン軍約1.6万

部隊兵力その後
ザクセン軍(左翼)約16,000損害

カトリック連盟・皇帝軍(ティリー)約2.8万

部隊兵力その後
ティリーの大方陣(テルシオ)約2万損害
パッペンハイムの騎兵(左翼)約4,000損害
フュルステンベルクの騎兵(右翼)約4,000
皇帝軍の大砲大砲降伏

決め手

素早い向き直り

スウェーデン軍の左翼の小さな部隊はすぐに向きを変えて、ティリーの大方陣の側面に立ちふさがった。右翼ではグスタフ・アドルフ自ら騎兵を率いて皇帝軍の大砲を奪い、その大砲で方陣を撃った。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「三十年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:C・V・ウェッジウッド『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)