1前332年1月
島の町
陸から800mほど離れた島にあるテュロスは、高い城壁に囲まれ、強い海軍を持っていた。「神殿に参拝したい」というアレクサンドロスの願いを拒んだ。アレクサンドロスは、陸から島まで海を埋める突堤を築きはじめた。
合戦絵巻 ─ アレクサンドロス東征 勢力図
前332年1月
紀元前332年1月から7月にかけて、フェニキア(いまのレバノン)の島の町テュロスを、アレクサンドロスが包囲した。陸から800mほど離れた島に立つ町を攻めるため、アレクサンドロスは海を埋めて突堤を築いた。7か月のすえ、船で城壁に穴を開けて町に突入した。突堤には砂がたまり、テュロスは今も陸続きの半島になっている。
上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの5つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。
イッソスの戦いでダレイオス3世を破ったアレクサンドロスは、すぐには追わず、地中海沿岸のフェニキアの都市を押さえにかかった。ペルシア海軍の多くはフェニキアの船だったので、その港を奪えば、海から背後をおびやかされずにすむ。
フェニキアの都市の多くは降ったが、テュロスは「神殿に参拝したい」というアレクサンドロスの願いを拒んだ。テュロスは高い城壁に囲まれた島の町で、強い海軍も持ち、守りに自信を持っていた。
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1前332年1月
陸から800mほど離れた島にあるテュロスは、高い城壁に囲まれ、強い海軍を持っていた。「神殿に参拝したい」というアレクサンドロスの願いを拒んだ。アレクサンドロスは、陸から島まで海を埋める突堤を築きはじめた。
2春
突堤が島に近づくと、テュロスの兵は城壁から矢や石を浴びせ、燃料を積んだ火船をぶつけて攻城塔を焼いた。アレクサンドロスは、より幅の広い突堤を築き直した。
3夏
イッソスの勝利を知ったフェニキアとキプロスの王たちが、艦隊でアレクサンドロスに加わった。テュロスの港は封鎖された。
47月
攻城用の衝角をのせた船で城壁の南側に穴を開け、アレクサンドロス自らが先頭に立って突入した。
5結果
7か月の包囲で町は落ち、約8000人が殺され、約3万人が奴隷として売られたと伝えられる。突堤には砂がたまり、テュロスはそれ以来、陸続きの半島になった。
アレクサンドロスは、陸から島まで海を埋めて、幅の広い突堤を築きはじめた。陸の軍だけで島の町を攻めるための、大がかりな工事だった。
テュロスの兵は城壁から矢や石を浴びせ、燃料を積んだ火船をぶつけて攻城塔を焼いた。アレクサンドロスは、より幅の広い突堤を築き直して、粘り強く攻め続けた。
イッソスの勝利を知ったフェニキアやキプロスの王たちが、艦隊を連れてアレクサンドロスに加わった。テュロスの港は封鎖され、海からも攻められるようになった。
24歳。城壁に開いた穴から、自ら先頭に立って町に突入した。このあとエジプトに入り、アレクサンドリアを建てる。
7か月の包囲で町は落ち、約8000人が殺され、約3万人が奴隷として売られたと伝えられる。続いてガザの町も2か月の包囲のすえに落ちた。
アレクサンドロスはエジプトに入り、ファラオとして迎えられた。前331年には地中海沿岸にアレクサンドリアを建て、そのあと東へ戻って、ガウガメラでダレイオス3世と最後の決戦に臨む。
わざわざ7か月をかけて小さな島の町を攻めたことには、ペルシア海軍の基地を奪って背後を固めるという作戦上の理由があった。一方で、自分の願いを拒んだ町を許さないという、アレクサンドロスの性格を見る見方もある。
| 前333年11月 | イッソスの戦い |
|---|---|
| 前332年1月 | テュロスの包囲が始まる |
| 前332年7月 | テュロスが落ちる |
| 前332年秋 | ガザが落ちる。エジプトに入る |
| 前331年 | アレクサンドリアを建てる |
| 前331年10月 | ガウガメラの戦い |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| アレクサンドロス総大将 | ||
| 突堤を築く兵 | ||
| 攻城塔 | 炎上 | |
| キプロス・フェニキアの艦隊 | 約200隻 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| テュロス総大将 | 炎上 | |
| テュロスの船 | 火船 | 沈没 |
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「アレクサンドロス東征 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』(岩波文庫)