合戦絵巻 ─ アレクサンドロス東征 勢力図

グラニコス川の戦い

前334年5月 / グラニコス川

夕方

川をはさんで

1粒=約100人

紀元前334年5月、小アジア(いまのトルコ)北西部のグラニコス川で、マケドニアの若き王アレクサンドロスが、ペルシアの総督たちの軍を破った。アレクサンドロスは急な川岸を自ら騎兵の先頭に立って駆け上がり、乱戦の中で命を落としかけた。ペルシア遠征の最初の大きな勝利で、小アジアの都市が次々にアレクサンドロスに降った。

上の観戦プレイヤーでは、マケドニア軍(アレクサンドロス)—とペルシアの総督たちの軍約4万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

マケドニア軍(アレクサンドロス)
—
ペルシアの総督たちの軍
約4万
いつ
夕方 → 結果

なぜ戦ったのか

紀元前4世紀、ギリシャの北のマケドニアは、フィリッポス2世のもとで強国となり、ギリシャの都市を従えた。フィリッポスはペルシア遠征を計画していたが、前336年に暗殺された。

20歳で王となった息子のアレクサンドロスは、ギリシャの反乱を鎮めると、前334年春、歩兵3万あまり・騎兵5000ほどを率いてヘレスポントス(ダーダネルス海峡)を渡り、アジアに入った。

ペルシアの小アジアの総督たちは軍を集め、グラニコス川の向こう岸で待ち受けた。ギリシャ人傭兵の将メムノンは「焦土作戦で補給を断つべきだ」と進言したが、総督たちは退けた。

戦いの経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

1夕方

川をはさんで

ペルシアの総督たちは、急な川岸の上に騎兵を並べ、その後ろにギリシャ人の傭兵歩兵を置いた。老将パルメニオンは翌朝まで待つよう勧めたが、アレクサンドロスは「ヘレスポントスを渡った者が小川を恐れるのか」と、すぐに攻めることにした。

2夕方

川を渡る

先鋒の騎兵が川に入り、ペルシア騎兵の反撃を引きつけた。その間にアレクサンドロスは近衛騎兵を率いて斜めに川を渡り、岸を駆け上がった。

3夕方

一騎打ち

岸の上では騎兵どうしの乱戦となった。アレクサンドロスは槍が折れても戦い、ペルシアの貴族2人を倒したが、背後から斬られかけたところを、クレイトスが敵の腕を斬り落として救った。

4夕方

ペルシア騎兵の敗走

ファランクスが川を渡り終えると、ペルシア騎兵は崩れて逃げた。

5夜

傭兵の全滅

取り残されたギリシャ人の傭兵は、降伏を申し出たが許されず、囲まれてほとんどが殺された。アレクサンドロスは、ペルシアに味方したギリシャ人を裏切り者とみなした。

6結果

グラニコス川の戦いの結果

小アジアの西の都市が次々に降った。アレクサンドロスはペルシアから奪った鎧300組をアテネのパルテノン神殿に送り、「スパルタ人を除くギリシャ人が、アジアの異民族から奪った」と記させた。

勝敗を分けたもの

ためらわない渡河

老将パルメニオンは翌朝まで待つよう勧めたが、アレクサンドロスはすぐに攻めることにした。先鋒にペルシア騎兵の反撃を引きつけさせ、そのすきに近衛騎兵を率いて斜めに川を渡り、岸を駆け上がった。

騎兵どうしの乱戦

ペルシア軍は騎兵を川岸の前に並べ、歩兵を後ろに置いていた。岸の上の騎兵の乱戦でペルシアの指揮官たちが次々に倒れると、ペルシア騎兵は崩れて逃げた。

取り残された傭兵

ペルシア側の主力だったギリシャ人傭兵の歩兵は、騎兵が逃げたあと取り残され、マケドニア軍に囲まれてほとんどが殺された。

主な人物とその後

アレクサンドロスマケドニア軍(アレクサンドロス)

マケドニアの王。22歳。この戦いを皮切りに、10年あまりでペルシアを倒し、インドの入口まで遠征した。

クレイトスマケドニア軍(アレクサンドロス)

アレクサンドロスの近衛騎兵の将。背後から斬られかけた王を救った。のちに酒の席で王と口論になり、王の手で殺される。

パルメニオンマケドニア軍(アレクサンドロス)

フィリッポス2世以来の老将。慎重な進言で知られ、左翼の騎兵を率いた。

メムノンペルシアの総督たちの軍

ペルシアに仕えたギリシャ人の将。戦いの前に焦土作戦を勧めたが聞き入れられなかった。戦いのあと海軍でアレクサンドロスの背後をおびやかしたが、病で亡くなった。

戦いのあと

小アジアの西の都市が次々にアレクサンドロスに降った。アレクサンドロスは、ペルシアから奪った鎧300組をアテネのパルテノン神殿に送り、「スパルタ人を除くギリシャ人が、アジアの異民族から奪った」と記させた。遠征に加わらなかったスパルタへの皮肉である。

翌前333年、アレクサンドロスは小アジアを南へ進み、ゴルディオンで「ゴルディオスの結び目」を剣で断ち切ったという逸話を残す。そして秋、ついにペルシア王ダレイオス3世の大軍とイッソスで向き合う。

諸説と論点

夕方に渡ったのか、翌朝か

多くの記録は、アレクサンドロスがその日の夕方にすぐ攻めたとする。一方、歴史家ディオドロスは、翌朝に別の場所で川を渡ったと書いており、どちらが正しいかは議論がある。

関連年表

前338年カイロネイアの戦い。マケドニアがギリシャを従える
前336年フィリッポス2世が暗殺され、アレクサンドロスが即位
前334年春アレクサンドロスがアジアに渡る
前334年5月グラニコス川の戦い
前333年11月イッソスの戦い
前331年10月ガウガメラの戦い

両軍の陣容

マケドニア軍(アレクサンドロス)—

部隊兵力その後
アレクサンドロスと近衛騎兵総大将
ファランクス(長槍の密集歩兵)
パルメニオンとテッサリア騎兵

ペルシアの総督たちの軍約4万

部隊兵力その後
ペルシア騎兵総大将約2万敗走
ペルシア騎兵敗走
ギリシャ人傭兵約2万戦死・壊滅

決め手

一騎打ち

岸の上では騎兵どうしの乱戦となった。アレクサンドロスは槍が折れても戦い、ペルシアの貴族2人を倒したが、背後から斬られかけたところを、クレイトスが敵の腕を斬り落として救った。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この戦いは「アレクサンドロス東征 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』(岩波文庫)、森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』(講談社)