合戦絵巻 ─ 百年戦争 勢力図

オルレアンの解放

1428年10月〜1429年5月8日 / フランス中部 オルレアン(ロワール川)

1428年10月

包囲

1粒=約100人

1428年10月から1429年5月8日まで、フランス中部のロワール川沿いの町オルレアンを、イングランド軍が包囲した。17歳の農民の娘ジャンヌ・ダルクが救援に来ると、フランス軍はイングランドの砦を次々に攻め落とし、わずか9日で包囲を解かせた。百年戦争の流れを変えた戦いである。

上の観戦プレイヤーでは、フランス軍(デュノワ・ジャンヌ・ダルク)約7,000とイングランド軍(タルボット・サフォーク伯)約4,000、あわせて約1.1万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの7つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

フランス軍(デュノワ・ジャンヌ・ダルク)
約7,000
イングランド軍(タルボット・サフォーク伯)
約4,000
いつ
1428年10月 → 結果

なぜ戦ったのか

1415年のアザンクールの戦いのあと、イングランドはフランス北部を手に入れ、1420年のトロワ条約で、ヘンリー5世がフランス王位の継承者と認められた。フランスの王太子シャルルは、ロワール川の南に追いやられた。

1422年、ヘンリー5世とフランス王シャルル6世があいついで亡くなった。イングランドは幼いヘンリー6世をフランス王とし、ロワール川の南へ攻め進もうとした。その入口にあたるのがオルレアンだった。

1428年10月、イングランド軍はオルレアンを囲み、町の周りに砦を並べた。町の人々は半年にわたって耐えたが、救援の試みは失敗し、希望を失いかけていた。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

11428年10月

包囲

ロワール川の北の町オルレアンを、イングランド軍が囲んだ。橋の南の端のトゥーレル砦を奪い、町の周りに砦(バスティーユ)を並べた。司令官ソールズベリー伯は、町から撃たれた砲弾で亡くなった。

21429年2月

ニシンの戦い

包囲軍にニシンの樽を運ぶ輸送隊を、フランス軍が襲ったが、樽を並べた陣地に防がれて大敗した。町の人々は絶望しかけていた。

31429年4月29日

ジャンヌの到着

白い甲冑を着て旗を持った17歳のジャンヌが、食料を運ぶ船とともにロワール川を渡り、町に入った。人々はたいまつを持って迎えた。

45月4日〜6日

砦を攻め落とす

フランス軍は東のサン・ルー砦を落とし、次に川を渡って南のオーギュスタン砦を落とした。

55月7日

トゥーレル砦

最も堅いトゥーレル砦の攻撃で、はしごを登っていたジャンヌは肩に矢を受けた。手当てを受けてすぐに戦場に戻り、旗を掲げると兵は奮い立ち、夕方に砦を落とした。

65月8日

包囲が解ける

日曜日の朝、イングランド軍は西の砦を捨てて陣を組んだが、ジャンヌは日曜日だからと攻撃を止め、イングランド軍は去っていった。オルレアンでは今も5月8日にジャンヌの祭りが開かれる。

7結果

オルレアン解放の結果

この勝利でフランスの流れが変わった。6月のパテーの戦いでも勝ち、7月、ジャンヌはシャルル王太子をランスで戴冠させた。

勝敗を分けたもの

ジャンヌの到着

「神の声」に導かれたというジャンヌは、王太子シャルルに会って軍を任された。白い甲冑に旗を持ったジャンヌが町に入ると、兵と町の人々は奮い立った。

砦を一つずつ

イングランド軍は兵の数が少なく、包囲の砦はばらばらで、たがいに助け合うのが難しかった。フランス軍は東のサン・ルー砦、南のオーギュスタン砦、トゥーレル砦と、砦を一つずつ攻め落とした。

倒れても戻る

トゥーレル砦の攻撃で、ジャンヌははしごの上で肩に矢を受けた。手当てを受けてすぐに戦場に戻り、旗を掲げると、兵は勢いを取り戻して砦を落とした。

主な武将とその後

ジャンヌ・ダルクフランス軍(デュノワ・ジャンヌ・ダルク)

東フランスのドンレミ村の農民の娘。オルレアンを解放し、王太子シャルルをランスで戴冠させた。1430年に捕らえられ、イングランド側の宗教裁判で異端とされ、1431年、19歳でルーアンで火あぶりにされた。のちに名誉を回復し、1920年に聖人とされた。

デュノワフランス軍(デュノワ・ジャンヌ・ダルク)

オルレアン公の異母弟で、町の防衛を指揮した。ジャンヌとともに戦い、その後もフランス軍の中心として活躍した。

タルボットイングランド軍(タルボット・サフォーク伯)

イングランドの勇将。オルレアンの包囲を指揮したが、退いた。のちにカスティヨンの戦いで戦死する。

合戦のあと

6月のパテーの戦いでもフランス軍が勝ち、7月、ジャンヌは王太子シャルルをランスの大聖堂で戴冠させた。シャルル7世は正式なフランス王となり、フランスの人々の心は王のもとにまとまりはじめた。

その後、ジャンヌは捕らえられて処刑されたが、フランスの反撃は止まらなかった。1435年にブルゴーニュ公がフランスと和解し、1453年、カスティヨンの戦いで百年戦争は終わる。

諸説と論点

ジャンヌは本当に戦ったのか

ジャンヌが実際に剣を振るって戦ったのか、旗を掲げて兵を励ましたのかは、はっきりしない。ジャンヌ自身は裁判で、人を殺さないよう剣より旗を持っていた、と語ったとされる。

オルレアン解放の意味

イングランド軍は兵が少なく、包囲はもともと完全ではなかったため、軍事的にはジャンヌがいなくても解かれたかもしれない、という見方もある。それでも、人々の心を動かしたジャンヌの存在が、戦争の流れを変えたことは確かだと考えられている。

関連年表

1420年トロワ条約
1428年10月イングランド軍がオルレアンを包囲
1429年2月ニシンの戦い
1429年4月29日ジャンヌ・ダルクがオルレアンに入る
1429年5月7日〜8日トゥーレル砦が落ち、包囲が解ける
1429年7月シャルル7世がランスで戴冠
1431年5月ジャンヌ・ダルクが処刑される

両軍の陣容

フランス軍(デュノワ・ジャンヌ・ダルク)約7,000

部隊兵力その後
オルレアン損害
ジャンヌ・ダルクと救援軍約4,000
デュノワ(オルレアンの私生児)約3,000

イングランド軍(タルボット・サフォーク伯)約4,000

部隊兵力その後
トゥーレル砦(橋の南の端)砦炎上
オーギュスタン砦砦降伏
サン・ルー砦砦降伏
西の砦群砦降伏
タルボット・サフォーク伯約4,000

決め手

トゥーレル砦

最も堅いトゥーレル砦の攻撃で、はしごを登っていたジャンヌは肩に矢を受けた。手当てを受けてすぐに戦場に戻り、旗を掲げると兵は奮い立ち、夕方に砦を落とした。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「百年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:高山一彦『ジャンヌ・ダルク ─ 歴史を生き続ける「聖女」』(岩波新書)、佐藤猛『百年戦争 ─ 中世ヨーロッパ最後の戦い』(中公新書)