合戦絵巻 ─ 百年戦争 勢力図

アザンクールの戦い

1415年10月25日 / フランス北部 アザンクール

10月25日 朝

聖クリスピンの日

1粒=約100人

1415年10月25日、フランス北部のアザンクールで、ヘンリー5世の率いるイングランド軍が、数倍のフランス軍を破った。雨でぬかるんだ狭い畑で、重い鎧のフランスの騎士たちは泥に足をとられ、イングランドの長弓兵と下馬した騎士に次々に倒された。シェイクスピアの『ヘンリー五世』で知られる戦いである。

上の観戦プレイヤーでは、イングランド軍(ヘンリー5世)約6000〜9000約6,500とフランス軍(ダルブレ)約1万2000〜3万約2万、あわせて約2.7万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

イングランド軍(ヘンリー5世)約6000〜9000
約6,500
フランス軍(ダルブレ)約1万2000〜3万
約2万
いつ
10月25日 朝 → 結果

なぜ戦ったのか

14世紀の後半、フランスは盛り返し、イングランドは大陸の領地の多くを失った。しかし15世紀に入ると、フランスでは国王シャルル6世が心の病に苦しみ、貴族たちがブルゴーニュ派とアルマニャック派に分かれて争っていた。

1413年に即位したイングランドの若い王ヘンリー5世は、このすきに戦争を再開し、1415年8月、ノルマンディーに上陸した。アルフルールの町を落としたが、赤痢で多くの兵を失った。

ヘンリー5世はカレーへ向かって北へ進んだが、ソンム川の手前で、行く手をふさぐフランスの大軍に追いつかれた。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

110月25日 朝

聖クリスピンの日

赤痢で弱り、食料も尽きかけたイングランド軍の前に、数倍のフランス軍が立ちふさがった。前夜は一晩中雨が降った。両軍は2つの森にはさまれた、幅1kmほどの耕したばかりの畑で向かい合った。

211時ごろ

杭を打って前進

フランス軍が動かないのを見て、ヘンリー5世は弓の届く距離まで前進した。長弓兵は騎兵を防ぐ先のとがった杭を地面に打ちこみ、矢を放ち始めた。

3昼

騎兵の突撃

矢に怒ったフランスの騎兵が両翼から突撃したが、泥で速さが出ず、杭と矢に阻まれた。傷ついた馬は暴れて逃げ帰り、後ろから進んできた味方の隊列を踏み荒らした。

4昼

泥の中の乱戦

重い鎧を着て歩いて進んだフランスの騎士は、膝まで沈むぬかるみに疲れ、両側の森が狭まって押し合いになり、武器も振るえなくなった。矢を射つくした長弓兵は、斧や短剣を持って飛びこみ、倒れた騎士を次々に討った。

5午後

捕虜の殺害

後ろのフランス軍が再び攻めてくると見たヘンリー5世は、多くの捕虜を殺すよう命じた。騎士道に反するこの命令は、後世まで議論の的となった。

6結果

アザンクールの戦いの結果

フランスの死者は約6000人ともいわれ、大元帥ダルブレや多くの大貴族が戦死した。イングランド軍の損害は数百人だった。シェイクスピアの『ヘンリー五世』で、王は「われら少数、われら幸福なる少数、われら兄弟の一団」と兵を励ます。

勝敗を分けたもの

ぬかるみ

前夜は一晩中雨が降り、戦場は耕したばかりの畑で、膝まで沈むほどぬかるんでいた。重い鎧を着て歩いて進むフランスの騎士は、イングランドの陣にたどり着く前に疲れ果てた。

狭い戦場

両側を森にはさまれた幅1kmほどの土地では、フランス軍は大軍の数を生かせなかった。前に進むほど道は狭まり、押し合いになって武器も振るえなくなった。

杭と長弓

長弓兵は先をとがらせた杭を地面に打ちこみ、騎兵の突撃を防ぎながら矢を浴びせた。矢を射つくすと、斧や短剣を手に、倒れた騎士たちに飛びかかった。

主な武将とその後

ヘンリー5世イングランド軍(ヘンリー5世)約6000〜9000

イングランド王。この勝利で名声を高め、1420年のトロワ条約で、フランス王の娘と結婚し、フランス王位の継承者と認められた。しかし2年後、病で亡くなった。

シャルル・ダルブレフランス軍(ダルブレ)約1万2000〜3万

フランスの大元帥。フランス軍を指揮したが、この戦いで戦死した。

オルレアン公シャルルフランス軍(ダルブレ)約1万2000〜3万

フランス王家の一族。戦いで捕虜となり、25年間イングランドに捕らわれた。その間に多くの詩を書き、詩人としても知られる。

合戦のあと

フランス軍の死者は約6000人ともいわれ、多くの大貴族が戦死したり捕虜になったりした。イングランド軍の損害は数百人だった。

ヘンリー5世はその後ノルマンディーを征服し、1420年のトロワ条約でフランス王位の継承者となった。フランスは国が二つに割れる危機に陥り、やがてジャンヌ・ダルクの登場を迎える。

諸説と論点

捕虜の殺害

戦いの途中、ヘンリー5世は多くの捕虜を殺すよう命じた。フランス軍が再び攻めてくると見て、捕虜が反乱を起こすのを恐れたためとされるが、騎士道に反する行いとして、後世まで議論の的となった。

兵力の差

イングランド軍は6000〜9000、フランス軍は1万2000〜3万と、兵力の見積もりは研究者によって大きく違う。かつてはフランス軍が圧倒的に多かったとされたが、近年は差はもっと小さかったとする研究もある。

関連年表

1413年ヘンリー5世が即位
1415年8月ヘンリー5世がノルマンディーに上陸
1415年10月25日アザンクールの戦い
1420年トロワ条約
1422年ヘンリー5世とシャルル6世が死去
1429年オルレアンの解放

両軍の陣容

イングランド軍(ヘンリー5世)約6000〜9000約6,500

部隊兵力その後
ヘンリー5世と下馬した騎士約1,500
長弓兵(左翼)約2,500
長弓兵(右翼)約2,500

フランス軍(ダルブレ)約1万2000〜3万約2万

部隊兵力その後
フランス第1陣(下馬した騎士)約8,000損害
フランス騎兵(両翼)約2,400損害
フランス第2陣約6,000損害
フランス第3陣約4,000

決め手

泥の中の乱戦

重い鎧を着て歩いて進んだフランスの騎士は、膝まで沈むぬかるみに疲れ、両側の森が狭まって押し合いになり、武器も振るえなくなった。矢を射つくした長弓兵は、斧や短剣を持って飛びこみ、倒れた騎士を次々に討った。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「百年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:佐藤猛『百年戦争 ─ 中世ヨーロッパ最後の戦い』(中公新書)、シェイクスピア『ヘンリー五世』