今の田布施町
山口県の南東部、室津半島の付け根にある町です。瀬戸内海に面し、北西の山地から田布施川が町の中央を南へ流れて海に注ぎます。中央は平坦で、JRの田布施駅を中心に市街地が広がります。瀬戸内海に浮かぶ馬島も町に含まれます。気候は温暖で日照が長く、農業が盛んです。岸信介と佐藤栄作の二人の首相に縁があるため「宰相の郷」と呼ばれます。
今の田布施町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,483人です。今の区域で数えた1980年の16,636人とくらべると12.9%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.2%です。
主な産業:米・野菜・イチジク・イチゴなどの農業が中心です。
特産品・名産
- 田布施いちじくイチジクを使ったワインやジャムも作られている
- たぶせ健康厳選米化学肥料を使わずに育てた米のブランド
- いちご日照が長く冬も暖かい町でいちご狩りもできる
見どころ・祭り
- 田布施町郷土館岸信介と佐藤栄作の遺品を展示する
- 石城山光市との境にまたがる山
- 馬島瀬戸内海に浮かぶ、町に含まれる島
- 田布施川町の中央を南へ流れる川
木クロガネモチ花コバノミツバツツジ田布施町の木・花
田布施町のなりたち
田布施町(たぶせちょう)は、山口県柳井圏の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。城南村・麻郷村・麻里布村・田布施村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の田布施町になりました。
今の名前「田布施町」は、1920年にあった田布施村の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の田布施村が約25km²だったのに対し、今の田布施町は約49km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は熊毛郡に属していました。
「田布施町」という名前
「田布施」の地名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、下田布施村・上田布施村・波野村・大波野村の区域をもって田布施村が発足しました。1921年(大正10年)に町制を施行して田布施町となり、1955年(昭和30年)に周りの3村と合併して現在の田布施町になりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、下田布施村・上田布施村・波野村・大波野村の区域をもって、熊毛郡に田布施村が発足しました。田布施村は1921年(大正10年)2月11日に町制を施行して田布施町となりました。1954年(昭和29年)12月27日に新しい田布施町の設置が官報に告示され、翌1955年1月1日、田布施町と麻郷村・城南村・麻里府村の1町3村が合併し、新しい田布施町が発足しました。旧田布施町の役場が新しい町の役場となり、ほかの村役場は出張所になりました。平成の大合併では、2003年(平成15年)6月に柳井市・大畠町・平生町との合併協議会が設置されましたが、2004年(平成16年)3月に白紙に戻りました。同年6月には合併の枠組みについて住民投票が行われました。その後も合併はせず、単独の町として続いています。1989年(平成元年)には、岸信介と佐藤栄作の遺品などを展示する郷土館が開館しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、熊毛郡に田布施村・城南村・麻郷村・麻里府村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1921年2月11日大正10年熊毛郡の田布施村が町制を施行して田布施町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年熊毛郡の田布施町・麻郷村・麻里府村・城南村が合併し、改めて田布施町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.tabuse.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。