今の長瀞町
埼玉県北西部、秩父の山々への入口に位置する町です。中央を荒川が流れ、その両岸に町域が広がります。宝登山などの山に囲まれ、荒川沿いの岩畳や渓谷は国の名勝・天然記念物として知られています。秩父鉄道の開通を機に観光地として発展しました。旧野上町から景勝地の名に改称した町で、木にモミジ、花にサクラ、鳥にセキレイを定めています。
今の長瀞町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,807人です。今の区域で数えた1980年の8,908人とくらべると23.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.7%です。
主な産業:果樹などの農業、そばなどの飲食業と、岩畳や社寺を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- かき氷町の特産として紹介される涼味。
- そば町の特産として親しまれる味。
- 豚味噌町の特産として紹介される食品。
見どころ・祭り
- 岩畳荒川沿いに広がる岩の景勝地。
- 寶登山神社長瀞の山麓に鎮座する神社。
- 虎岩虎の肌を思わせる縞模様の岩。
木モミジ花サクラ鳥セキレイ長瀞町の木・花・鳥
長瀞町のなりたち
長瀞町(ながとろまち)は、埼玉県秩父地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。樋口村・白鳥村・野上村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の長瀞町になりました。
今の名前「長瀞町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の野上村が約8km²だったのに対し、今の長瀞町は約30km²と、およそ3.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は秩父郡に属していました。
「長瀞町」という名前
長瀞は、川の流れが静かな部分である「瀞」が長く続くことを表す地名です。荒川沿いの景勝地として知られ、1924年には国の名勝・天然記念物に指定されました。自治体の名は、もとは野上村、町制施行後は野上町でした。1972年11月1日に、景勝地の名を表す長瀞町へ改称し、現在の町名となっています。
まちの成り立ち
1889年4月1日の町村制で、秩父郡本野上村、中野上村、藤谷淵村が合併して野上村となりました。隣接する野上下郷と矢那瀬村は樋口村となり、岩田村、井戸村、下田野村、金尾村、風布村は白鳥村となりました。現在の長瀞町の成り立ちには、この三つの村が関わっています。
1911年に秩父鉄道が開通すると、秩父への入口として商工業が発展し、景勝地を訪れる人も増えました。荒川の岩畳や渓谷には特徴的な岩石が見られ、長瀞は観光地として知られるようになりました。1940年2月15日、野上村は町制を施行して野上町となりました。
1943年9月8日、樋口村と白鳥村の一部が野上町へ編入されました。野上町の名を保ったまま、町域が広がりました。白鳥村は分割され、その一部が野上町に入りました。残りの区域は寄居町への編入や美野町の新設合併にも関わりました。
1972年11月1日、野上町は長瀞町と改称しました。この時は、自治体の名称の変更でした。明治の三村の成立、昭和の町制と編入、景勝地にちなむ改称を経て、現在の長瀞町につながっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年秩父郡本野上村、中野上村、藤谷淵村が合併して野上村となり、野上下郷、矢那瀬村が合併して樋口村となり、岩田村、井戸村、下田野村、金尾村、風布村が合併して白鳥村となった。種類:町村制 出典:www.town.nagatoro.saitama.jp
- 1940年2月15日昭和15年野上村が町制を施行して野上町となった。種類:町制施行 出典:www.town.nagatoro.saitama.jp
- 1943年9月8日昭和18年白鳥村が分割され、井戸、岩田、風布の一部が野上町への編入対象となり、下田野が美野町の新設合併に参加し、金尾と風布の残部が寄居町に編入された。種類:分割 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1943年9月8日昭和18年樋口村と白鳥村の井戸、岩田、風布の一部が野上町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1972年11月1日昭和47年野上町が長瀞町に改称した。種類:改称 出典:www.pref.saitama.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。