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島本町しまもとちょう

島本町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の島本町

大阪府の北東部、京都府との境にある町です。桂川・宇治川・木津川が合流する淀川の右岸に位置し、北部の山地から水無瀬川が市街地へ流れます。平地にはJR京都線や阪急京都線などが通り、大阪・京都の両方へ通う住宅地が広がっています。山崎のウイスキーづくりやタケノコの産地として知られ、水無瀬神宮、若山神社、桜井駅跡などの史跡が街道沿いに残ります。

今の島本町の区域の人口は、2020年の国勢調査で30,927人です。今の区域で数えた1980年の24,663人とくらべると25.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.5%です。

30,927人人口(2020年)
+25.4%1980年からの増減
16.81km²面積(国土地理院)
1,840人/km²人口密度
27.5%65歳以上の割合
30,9271980199020052020
15歳未満 14.9%15〜64歳 57.6%65歳以上 27.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:大阪・京都への通勤住宅地で、ウイスキーなどの製造業やタケノコ栽培も見られます。

特産品・名産

  • ウイスキー山崎の蒸溜所で造られる町を代表する酒
  • タケノコ町内の竹林で採れる春の農産物
  • ジビエ町内のハンターが手がける鹿・猪の肉

見どころ・祭り

  • 水無瀬神宮・離宮の水名水百選に選ばれた水が湧く神宮
  • 史跡桜井駅跡楠公父子の別れの伝承が残る史跡
  • 若山神社桜や紅葉と三川合流の眺望で知られる
  • サントリー山崎蒸溜所大正時代から続くウイスキーの製造拠点

木クスノキ花ヤマブキ島本町の木・花

島本町のなりたち

島本町(しまもとちょう)は、大阪府三島地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに島本村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は三島郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
17km²今の面積

「島本町」という名前

「島本」は、1889年(明治22年)に大沢・尺代・山崎・東大寺・広瀬・桜井・高浜の七つの村をまとめた、島本村の名を受け継いでいます。村は1940年(昭和15年)に町となり、島本町になりました。「島本」という言葉そのものの由来ははっきりしていません。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、大沢村・尺代村・山崎村・東大寺村・広瀬村・桜井村・高浜村が合併し、島上郡島本村が発足しました。1896年には島上郡と島下郡がまとまって三島郡となり、島本村も新しい郡に属しました。山崎や広瀬などの旧村名は、今も町内の地名として使われています。

この地は西国街道と淀川の水運が通る、京都と大阪の間の交通の要所でした。山崎には摂津と山城の国境に位置する関大明神社があり、桜井には楠木正成・正行父子の別れの伝承を伝える桜井駅跡があります。水無瀬川や淀川に近い平地と、尺代・大沢へ続く山あいが一つの村にまとまりました。

大正末期から昭和初期には、山崎のウイスキー工場や紡績工場が設けられ、鉄道の開通とともに人口が増えました。1940年(昭和15年)4月1日に町制を施行し、島本町となります。戦後は企業の進出と住宅開発が進み、農村から大阪・京都の近郊住宅地へと姿を変えました。2008年にはJR島本駅が開業し、旧西国街道沿いの歴史と鉄道沿線の暮らしが重なる町となっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、島上郡大沢村・尺代村・山崎村・東大寺村・広瀬村・桜井村・高浜村が合併し、島本村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.shimamoto.lg.jp
  2. 1896年4月1日明治29年島上郡と島下郡の区域をもって三島郡が発足し、島本村は三島郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1940年4月1日昭和15年三島郡島本村が町制を施行し、島本町となった。種類:町制施行 出典:www.town.shimamoto.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

島本村→島本町1889〜今

参考にした資料