今の池田市
大阪府北西部、猪名川を挟んで兵庫県川西市に接する市です。北部には五月山などの山地があり、南へ平野が開けます。五月山のふもとには池田城跡が残り、旧街道沿いに商業のまちの歴史が伝わります。阪急宝塚線と箕面線が通り、大阪へ通う住宅地が広がります。北部の細河では植木づくりが盛んで、南部の工場地帯や市街地の酒蔵とともに、多様な産業を支えています。
今の池田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で104,993人です。今の区域で数えた1980年の101,121人とくらべると3.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.2%です。
主な産業:自動車・食品などの製造業が立地し、細河の植木生産や酒造業も続いています。
特産品・名産
- 植木細河地区で生産される植木
- 池田の地酒地域で受け継がれる酒造り
- 池田炭茶の湯にも使われる炭
見どころ・祭り
- 池田城跡公園五月山のふもとにある城跡
- 五月山公園市街地に接する山の公園
- 逸翁美術館小林一三の収集品を伝える美術館
- カップヌードルミュージアム 大阪池田即席めんの歴史を紹介する施設
木クスノキ花サツキツツジ鳥ヤマバト池田市の木・花・鳥
池田市のなりたち
池田市(いけだし)は、大阪府豊能地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。細河村・秦野村・北豊島村・池田町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の池田市になりました。
今の名前「池田市」は、1920年にあった池田町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の池田町が約3km²だったのに対し、今の池田市は約22km²と、およそ6.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は豊能郡に属していました。
「池田市」という名前
「池田」は、室町時代にこの地を治めた池田氏と池田城の歴史に結び付く地名です。五月山のふもとに城が築かれ、そのころから池田の名で呼ばれるようになりました。近代には1889年の町村制で池田町が置かれます。1935年に周辺の村と合併した町も池田の名を受け継ぎ、1939年の市制施行によって現在の市名になりました。
まちの成り立ち
池田は、五月山のふもとの城下町と、猪名川沿いの交通・商業の拠点として発展しました。1889年の町村制では豊島郡に池田町・細河村・秦野村・北豊島村が発足します。1896年に豊島郡と能勢郡が統合され、これらの町村は豊能郡に属することになりました。郡役所も池田町に置かれました。
1910年に箕面有馬電気軌道が開通すると、大阪と結ばれた沿線で住宅地づくりが進みます。池田室町には、会社員などに向けた住宅地が開かれました。1935年8月、池田町・細河村・秦野村・北豊島村の1町3村が合併し、改めて池田町が発足しました。1939年4月29日に市制を施行し、池田市となります。
市域には、五月山から北へ続く山地と、猪名川沿いの平地が含まれます。北の細河地区では植木の生産が続き、南部には自動車や食品などの工場が立地しています。江戸時代から続く酒づくりも地域の産業です。阪急の池田駅と石橋阪大前駅の周辺には商店街があり、城下町から住宅都市へ広がった市の中心を形づくっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、豊島郡に池田町・細河村・秦野村・北豊島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年豊島郡と能勢郡の区域で豊能郡が発足し、各町村は豊能郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1935年8月昭和10年豊能郡池田町・細河村・秦野村・北豊島村が合併し、改めて池田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1939年4月29日昭和14年豊能郡池田町が市制を施行し、池田市となった。種類:市制施行 出典:www.masse.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。