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南大東村みなみだいとうそん

南大東村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の南大東村

沖縄本島の東の太平洋にある、南大東島を区域とする村です。サンゴ礁が隆起した島の海岸は断崖に囲まれ、内陸にはサトウキビ畑が広がります。中央部には大小の湖沼や湿地が点在し、大池のオヒルギ群落など独特の自然が残っています。八丈島からの開拓者と沖縄各地からの移住者が築いた文化も特色です。大東寿司や大東そばが食文化として親しまれています。

今の南大東村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,285人です。今の区域で数えた1980年の1,640人とくらべると21.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は24.6%です。

1,285人人口(2020年)
−21.6%1980年からの増減
30.52km²面積(国土地理院)
42人/km²人口密度
24.6%65歳以上の割合
1,6401980199020052020
15歳未満 15.7%15〜64歳 59.7%65歳以上 24.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:サトウキビ栽培と製糖を基幹とし、漁業や島の自然を生かした観光も営まれています。

特産品・名産

  • 大東寿司魚の漬けを使う島の郷土料理
  • 大東そば島で親しまれるそば
  • ラム酒サトウキビを生かした酒

見どころ・祭り

  • 星野洞鍾乳石が広がる洞窟
  • 大東神社豊年祭が行われる神社
  • 海軍棒海水プール岩礁を利用した海水プール
  • 大池のオヒルギ群落島の内陸に生育するマングローブ

木大東ビロウ花ハイビスカス南大東村の木・花

南大東村のなりたち

南大東村(みなみだいとうそん)は、沖縄県南部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに南大東島として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
島尻郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
31km²今の面積

「南大東村」という名前

村名は、村の区域をなす南大東島の名を受け継いでいます。沖縄本島の東の海にある大東諸島の島で、北大東島の南に位置します。古くは琉球の人々に「ウフアガリ島」と呼ばれていました。八丈島からの開拓者と沖縄各地からの移住者が暮らしを築き、1946年に村制が施行されて南大東村となりました。

まちの成り立ち

南大東島の開拓は、玉置半右衛門が八丈島で仲間を募り、1900年に開拓団が上陸したことから始まりました。島の周囲は断崖に囲まれ、開拓者たちは内陸の土地を切り開いていきました。サトウキビを栽培し、製糖を柱とする生活が築かれます。八丈島から来た人々に加え、沖縄各地からも人々が移り住みました。

開拓後の島は、玉置商会から東洋製糖、大日本製糖へと経営主体が移り、長く会社の経営のもとに置かれていました。1946年6月12日に村制が施行され、南大東村が発足しました。村の暮らしを支える農業と製糖は、その後も受け継がれています。

島民の土地所有権を求める運動は約30年に及びました。1964年7月30日に所有権が認められ、この日は村で記念日として大切にされています。1972年5月15日には沖縄の日本復帰を迎えました。島には、八丈島に由来する文化と沖縄の文化が伝わっています。豊年祭や開拓を記念する行事も続き、畑が広がる島の暮らしと結び付いています。

年表

  1. 1900年玉置半右衛門が率いた八丈島からの開拓団が南大東島に上陸した。種類:その他 出典:www.vill.minamidaito.okinawa.jp
  2. 1946年6月12日昭和21年島尻郡南大東村で村制が施行された。種類:その他 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1964年7月30日昭和39年島民の土地所有権が認められた。種類:その他 出典:www.vill.minamidaito.okinawa.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、南大東村が日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南大東島→南大東村1889〜今

参考にした資料