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北大東村きただいとうそん

1920年には2の町村だった区域が、0回の合併・編入を経て、今の北大東村になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の北大東村

沖縄本島の東方にある北大東島と、その南方の沖大東島からなる村です。北大東島は隆起したサンゴ礁の島で、中央部は盆地のようにくぼみ、周囲を丘陵が取り囲んでいます。内陸のサトウキビ畑と、かつてのリン鉱山の施設が島の景観を形づくっています。沖大東島はラサ島とも呼ばれ、現在は無人島です。村では大東寿司や、ジャガイモを利用した麺や焼酎などもつくられています。

今の北大東村の区域の人口は、2020年の国勢調査で590人です。今の区域で数えた1980年の658人とくらべると10.3%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は21.5%です。

590人人口(2020年)
−10.3%1980年からの増減
13.07km²面積(国土地理院)
45人/km²人口密度
21.5%65歳以上の割合
6711980199020052020
15歳未満 16.6%15〜64歳 61.9%65歳以上 21.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:サトウキビ栽培と製糖が中心で、ジャガイモの生産や漁業も営まれています。

特産品・名産

  • 大東寿司島で親しまれる郷土料理
  • じゃが麺ジャガイモを生かした麺
  • 月桃製品月桃を使った精油やお茶など

見どころ・祭り

  • 北大東島燐鉱山遺跡鉱石貯蔵庫跡などが残る国の史跡
  • 玉置翁記念碑開拓の歴史を伝える記念碑
  • 上陸公園島の開拓にかかわる公園
  • 沖縄最東端の碑北大東島の東側に立つ碑

木ダイトウビロウ花ハマオモト北大東村の木・花

北大東村のなりたち

北大東村(きただいとうそん)は、沖縄県南部地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。沖大東島・北大東島です。

名前
合併のときの新しい名前(1920年の2町村の名前はすべて自治体名から消えた)
1920年の郡
島尻郡
21920年の町村の数
0回合併・編入の回数
13km²今の面積

「北大東村」という名前

村名は、村の中心となる北大東島の名を受け継いでいます。南大東島とともに沖縄本島の東の太平洋に浮かび、現在の村の区域には、さらに南方の沖大東島も含まれます。1903年に開拓が始まった北大東島では、1946年に村制が施行され、北大東村となりました。沖大東島は「ラサ島」の別名でも知られています。

まちの成り立ち

北大東島の開拓は1903年に始まりました。南大東島で開拓が始まってから3年後のことです。サンゴ礁が隆起した島では、中央のくぼ地と、それを囲む丘陵の地形を生かして生活が築かれました。サトウキビの栽培に加え、かつてはリン鉱石の採掘も島の産業を支えました。

1946年6月12日に村制が施行され、北大東村が発足しました。当初は五つの行政区が置かれましたが、1950年には四つに整理されています。さらに1967年には行政区を廃止し、港・中野・南の三つの字が設けられました。現在の集落名は、この時の区分を受け継いでいます。

1972年5月15日の沖縄の日本復帰を経て、1973年には沖大東島が字ラサとされました。沖大東島も戦前にはリン鉱石の産地でした。北大東島には鉱石を保管した建物などが残り、北大東島燐鉱山遺跡は2017年に国の史跡に指定されました。翌2018年には鉱山に由来する文化的景観も国の重要文化的景観に選ばれ、農業と鉱業が育てた島の歴史を伝えています。

年表

  1. 1903年北大東島の開拓が始まった。種類:その他 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1946年6月12日昭和21年島尻郡北大東村で村制が施行された。種類:その他 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、北大東村が日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

北大東島→北大東村1889〜今
沖大東島1889〜1946

参考にした資料