今の平泉町
岩手県南西部の西磐井郡にある町です。町の中央は北上盆地の一部で、北上川が南へ流れて氾濫原をつくります。西側は奥羽山脈から延びる平泉丘陵の東端、北側は衣川に区切られています。東西に細長い町域です。平安時代末期に奥州藤原氏の本拠地として栄え、中尊寺や毛越寺などの遺跡が残ります。世界遺産に登録された5つの資産があります。
今の平泉町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,252人です。今の区域で数えた1980年の9,253人とくらべると21.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.4%です。
主な産業:観光が中心で、伝統産業に秀衡塗があります。
特産品・名産
- 秀衡塗奥州藤原氏ゆかりとされる漆器
見どころ・祭り
- 中尊寺金色堂などがある世界遺産
- 毛越寺庭園が世界遺産の構成資産
- 柳之御所遺跡国史跡
- 達谷窟国史跡
- 高館義経堂義経ゆかりのお堂
木すぎ花さくら鳥うぐいす平泉町の木・花・鳥
平泉町のなりたち
平泉町(ひらいずみちょう)は、岩手県県南の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。長島村・平泉村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の平泉町になりました。
今の名前「平泉町」は、1920年にあった平泉村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は東磐井郡・西磐井郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東磐井郡は2011年(平成23年)9月26日に廃止されました。
「平泉町」という名前
平泉という地名の由来は、はっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、平泉村・中尊寺村・戸河内村がまとまって平泉村となり、1953年(昭和28年)に町になりました。1955年(昭和30年)に東磐井郡の長島村と合併したときも、平泉の名が引きつがれました。
まちの成り立ち
平泉は、衣川と磐井川にはさまれた丘陵にあり、東を北上川が流れる、川の交通に恵まれた土地です。平安時代の終わりには奥州藤原氏の本拠地となり、4代にわたって栄えました。中尊寺や毛越寺などの寺院と庭園がその繁栄を伝え、2011年(平成23年)には「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産に登録されました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、平泉村・中尊寺村・戸河内村がまとまって西磐井郡平泉村が生まれ、北上川の東側には東磐井郡長島村ができました。平泉村は1953年(昭和28年)10月1日に町制を施行して平泉町になりました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月15日に平泉町と長島村が郡をまたいで合併し、新しい平泉町が発足しました。その後、1956年(昭和31年)と1964年(昭和39年)には、字大佐の一部が境界の変更で一関市に移っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、平泉村・中尊寺村・戸河内村が合併して西磐井郡平泉村が発足し、東磐井郡に長島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1953年10月1日昭和28年西磐井郡平泉村が町制を施行し、平泉町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月15日昭和30年西磐井郡平泉町と東磐井郡長島村が合併し、改めて西磐井郡平泉町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月1日昭和31年平泉町の字大佐の一部が境界変更により一関市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1964年5月1日昭和39年平泉町の字大佐の一部が境界変更により一関市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。