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五霞町ごかまち

五霞町がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の五霞町

茨城県の西南端に位置し、利根川・江戸川・権現堂川・中川に囲まれた町です。川を隔てて千葉県や埼玉県、古河市、境町に接します。田園と工業地を持ち、新4号国道と圏央道が交差する道路交通の拠点でもあります。水害への備えと河川改修の歴史が暮らしに関わり、町の成り立ちにも川の姿が重なっています。町の木はウメ、花はバラ、鳥はヒバリです。

今の五霞町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,093人です。今の区域で数えた1980年の8,645人とくらべると6.4%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.1%です。

8,093人人口(2020年)
−6.4%1980年からの増減
23.1km²面積(概算)
350人/km²人口密度
34.1%65歳以上の割合
10,3121980199020052020
15歳未満 9.1%15〜64歳 56.8%65歳以上 34.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:食品工場が立地し、米や野菜の農業と道の駅の交流も根付いています。

特産品・名産

  • ローズポークまん銘柄豚を使った道の駅の名物
  • 八つ頭コロッケ特産の八つ頭を使った加工品
  • 川霞町内産の常陸秋そばを使った焼酎

見どころ・祭り

  • 道の駅ごか地元の野菜や郷土の味に出会う
  • 中の島公園川に囲まれた緑の公園
  • 穴薬師古墳地域の古い歴史を伝える古墳

木ウメ花バラ鳥ヒバリ五霞町の木・花・鳥

五霞町のなりたち

五霞町(ごかまち)は、茨城県県西地域の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では五霞村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は猿島郡に属していました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
23km²今の面積
1895年いちばん新しい合併

「五霞町」という名前

五霞の名前は、川に囲まれたこの地域が「五ヶ村」や「霞堤」と呼ばれていたことに関わります。町の歴史紹介では、その呼び名を挙げて1889年の五霞村の誕生を説明しています。発足時には十一の村が合わさりました。1996年には五霞村が町となり、村から町へ同じ名前が受け継がれました。

まちの成り立ち

五霞は川に囲まれ、水との関わりが深い地域です。1875年には千葉県から茨城県へ移りました。当時の利根川本流は権現堂川で、現在の川筋や県境からは分かりにくい所属の歴史を持っています。

1889年(明治22年)4月1日の町村制では、西葛飾郡五霞村が発足しました。元栗橋村・幸主村・山王山村・山王村・江川村・冬木村・新幸谷村・川妻村・小手指村・大福田村・小福田村の十一村がまとまったものです。1895年には千葉県関宿町の権現堂川以北にある関宿江戸町の一部が加わりました。1896年には西葛飾郡が猿島郡へ統合され、五霞村の所属も猿島郡になりました。

昭和の大合併では他の自治体と新しい町村をつくらず、五霞村が続きました。川の改修と堤防の整備を経て、養蚕から米づくりへ産業の中心が移り、戦後には工場も進出しました。川は交通と暮らしを支える一方、水害への備えが必要な存在でもありました。

1996年6月1日、五霞村が町制を施行し、五霞町となりました。平成の大合併でも独立した町として続いています。現在は新4号国道と圏央道が交差し、五霞インターチェンジによる道路交通も、川に囲まれた町の新しい役割を支えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年元栗橋村・幸主村・山王山村・山王村・江川村・冬木村・新幸谷村・川妻村・小手指村・大福田村・小福田村がまとまり、西葛飾郡五霞村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1895年千葉県東葛飾郡関宿町の権現堂川以北にある関宿江戸町の一部が、茨城県西葛飾郡五霞村に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:Wikipedia
  3. 1896年4月1日明治29年西葛飾郡五霞村が、再編された猿島郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1996年6月1日平成8年五霞村が町制を施行し、五霞町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

五霞村→五霞町1889〜今

参考にした資料