今の壮瞥町
胆振総合振興局の西部にあり、洞爺湖の南東岸に面した町です。町の中央を長流川が東から西へ流れ、その流域の平地と周りの丘陵に分かれます。有珠山と昭和新山という火山があり、全域が洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークに含まれます。観光と農業が主で、果樹園が多く、サクランボやりんごが作られています。雪合戦の国際大会でも知られます。
今の壮瞥町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,743人です。今の区域で数えた1980年の4,292人とくらべると36.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.0%です。
主な産業:観光と農業が主で、果樹のほか水稲、畑作、畜産も行われています。
特産品・名産
- サクランボ沿道の果樹園で栽培される果物
- りんご果樹園が多い町の果物
- ダークホースかぼちゃ町内産の黒緑色でハート形のかぼちゃ
見どころ・祭り
- 昭和新山1944年からの噴火でできた火山
- 昭和新山国際雪合戦北海道遺産
- 壮瞥公園洞爺湖や有珠山を望める高台の公園
- 三松正夫記念館昭和新山資料館
- 壮瞥温泉洞爺湖畔の温泉
木モミジ、イチイ花ムクゲ壮瞥町の木・花
壮瞥町のなりたち
壮瞥町(そうべつちょう)は、北海道胆振地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに壮瞥村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は有珠郡に属していました。
「壮瞥町」という名前
「壮瞥」は、アイヌ語で「滝の川」を意味する「ソーペツ」が変化した名です。いまの壮瞥川のアイヌ語名「ソペッ」(滝・川)に由来するとされています。1899年(明治32年)に壮瞥村戸長役場が置かれたときから、壮瞥の字が使われています。1915年(大正4年)に二級町村制が施行されて壮瞥村となり、1962年(昭和37年)の町制施行で壮瞥町になりました。
まちの成り立ち
1879年(明治12年)に陸中国胆沢郡の千葉力之助が、麻の栽培のため滝之下に居住したのが町の始まりです。1880年から翌年にかけて今の伊達市から移住者が入り、1884年(明治17年)には徳島県の鎌田新三郎らが移住して農耕に従事しました。1899年(明治32年)8月、西紋鼈・長流・有珠の3村から分かれて、壮瞥村戸長役場が設置されました。1915年(大正4年)4月1日に二級町村制を施行し、壮瞥村となりました。同じ日に、徳舜瞥村(のちの大滝村、現在の伊達市大滝区)が壮瞥村から分かれています。1923年(大正12年)8月20日には洞爺村と境界を変更し、美利可別以北を洞爺村に分けました。1939年(昭和14年)4月1日に一級町村制へ移り、1962年(昭和37年)1月1日に町制を施行して壮瞥町となりました。有珠山は1910年(明治43年)の噴火で明治新山を、1944年(昭和19年)の噴火で昭和新山をつくっています。その後、ほかの市町村と合併したことはありません。
年表
- 1899年8月明治32年有珠郡の西紋鼈・長流・有珠の3村の一部が分かれて、壮瞥村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年10月19日明治39年伊達村との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年壮瞥村から徳舜瞥村(のちの大滝村)が分かれた。同じ日に壮瞥村に二級町村制が施行された。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年8月20日大正12年洞爺村との境界変更で、美利可別以北が洞爺村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1939年4月1日昭和14年壮瞥村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1962年1月1日昭和37年壮瞥村が町制を施行し、壮瞥町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。