今の東白川村
岐阜県加茂郡に属する村で、美濃地方の東寄りにありながら北は飛騨地方と接しています。標高1,000m前後の山々に囲まれ、村の大部分を山林が占めます。村の中央を白川が東から西へ流れ、その流れと支流に沿って集落が点在します。村は「お茶とひのきと清流の里」を掲げ、明治の立村以来、合併も分割もせずに歩んできました。廃仏毀釈の歴史から、村内に寺がないことでも知られています。
今の東白川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,016人です。今の区域で数えた1975年の3,837人とくらべると47.5%減り、人口は1975年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.1%です。
主な産業:ひがし白川茶や夏秋トマトの農業と、東濃ひのきを生かした林業・住宅づくりが村を支えています。
特産品・名産
- ひがし白川茶山あいの茶園で育つ高級緑茶
- 夏秋トマト米に代わり村の農業を支える作物
- 東白川の家東濃ひのきと白川大工の産直住宅
- 神棚ひのきの白木で職人が作る伝統品
見どころ・祭り
- つちのこ館つちのこの資料館
- つちのこ神社つちのこにちなむ神社
- 道の駅 茶の里東白川白川茶の里にある道の駅
- 四つ割りの南無阿弥陀仏碑廃仏毀釈で割られた碑を修復。役場脇
木ハナノキ花ミツバツツジ東白川村の木・花
東白川村のなりたち
東白川村(ひがししらかわむら)は、岐阜県中濃地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに東白川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は加茂郡に属していました。
「東白川村」という名前
村名は、村の中を流れる白川(飛騨川の支流)に由来します。世界遺産の合掌造り集落で知られる大野郡の白川村とは名前が似ていますが、東白川村は美濃地方の加茂郡にあり、まったく別の場所にある村です。村の中央部は白川沿いの谷あいに開け、「ひがし白川茶」や東濃ひのきの産地として知られています。
「明治22年立村以来、合併も分割もせずに満130年の村(令和元年度)。」── 東白川村「村の概要」
まちの成り立ち
東白川村は、1889年(明治22年)7月1日の町村制施行で生まれて以来、一度も合併や分割をしていない村です。村の公式サイトも、立村以来合併も分割もせずに歩んできたことを紹介しています。
村の成り立ちは、明治の二段階のまとまりでした。まず1874年(明治7年)8月、柏本村・宮代村・久須見村・大沢村・下野村の5か村が合わさって五加村ができました。続いて1889年の町村制で、神土村・越原村・五加村の3村がまとまり、東白川村となりました。いまも村は神土・越原・五加の三つの地区に分かれ、明治の村の名がそのまま地区の名として残っています。
この村を有名にしているのが「寺のない村」であることです。江戸時代にこの地を治めた苗木藩は、明治の初めに廃仏毀釈を徹底して行い、1870年(明治3年)には神土村の常楽寺と大沢村の蟠龍寺が廃されました。その後、寺は再建されず、村は全国で唯一、寺のない自治体となっています。
昭和の大合併でも平成の大合併でも、東白川村は他の市町村と一緒になることはなく、130年以上にわたって同じ村の姿を保っています。
年表
- 1874年8月明治7年加茂郡の柏本村・宮代村・久須見村・大沢村・下野村が合併し、五加村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、神土村・越原村・五加村が合わさって東白川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。