今の浪江町
福島県浜通りの双葉郡にある町で、請戸川の流域に広がり、沿岸部は太平洋に面しています。請戸漁港は福島県の最東端にあたります。江戸時代の中村藩に始まる陶器の大堀相馬焼や、なみえ焼そばで知られます。2011年の原発事故で全町が避難しました。町役場は国道6号に近い沿岸部にあります。水素の製造拠点もあり、水産業や工業を再び進めています。
今の浪江町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,923人です。今の区域で数えた1980年の22,601人とくらべると91.5%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.9%です。
主な産業:請戸漁港の水産業、炭素繊維製品などの工業、水素の製造が行われています。
特産品・名産
- 大堀相馬焼江戸時代に始まる、町を代表する陶器
- なみえ焼そば町の名産として知られるご当地グルメ
見どころ・祭り
- 請戸漁港第三種漁港で県の最東端にある
- 苕野神社請戸地区の神社で、津波後に社殿を再建
- 道の駅なみえ国道6号沿いの町の拠点施設
木松花コスモス鳥カモメ浪江町の木・花・鳥
浪江町のなりたち
浪江町(なみえまち)は、福島県相双地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。幾世橋村・請戸村・津島村・苅野村・大堀村・浪江町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の浪江町になりました。
今の名前「浪江町」は、1920年にあった浪江町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の浪江町が約7km²だったのに対し、今の浪江町は約227km²と、およそ32.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は双葉郡に属していました。
「浪江町」という名前
町名は、1889年(明治22年)の町村制で生まれた標葉郡浪江村の名を受けついでいます。浪江村は1900年(明治33年)に町制をしいて浪江町となり、1953年(昭和28年)と1956年(昭和31年)の2度の合併のあとも、浪江町の名が使われました。「浪江」という地名そのものの由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
福島県浜通りの双葉郡にある町です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、標葉郡に浪江村・請戸村・幾世橋村・大堀村・苅野村・津島村が生まれました。1896年(明治29年)4月1日に標葉郡と楢葉郡の区域から双葉郡ができ、これらの村は双葉郡に属しました。1900年(明治33年)3月8日には浪江村が町制を施行して浪江町となりました。
昭和の大合併では、1953年(昭和28年)10月10日に浪江町・請戸村・幾世橋村が合併し、改めて浪江町が発足しました。1956年(昭和31年)5月1日には浪江町・大堀村・苅野村・津島村が合併し、もう一度新しい浪江町が生まれました。その後、1958年(昭和33年)と1960年(昭和35年)に請戸地区の一部が双葉町に移っています。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、地震と津波の被害に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、町内の全域に避難指示が出されました。帰還困難区域を除く地域の避難指示は2017年(平成29年)3月31日に解除され、帰還困難区域のうち特定復興再生拠点区域も2023年(令和5年)3月31日に解除されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、標葉郡に浪江村・請戸村・幾世橋村・大堀村・苅野村・津島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年標葉郡と楢葉郡の区域から双葉郡が発足し、浪江村などは双葉郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1900年3月8日明治33年双葉郡浪江村が町制を施行し、浪江町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1953年10月10日昭和28年双葉郡の浪江町・請戸村・幾世橋村が合併し、改めて浪江町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年5月1日昭和31年双葉郡の浪江町・大堀村・苅野村・津島村が合併し、改めて浪江町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1958年4月1日昭和33年浪江町の一部(請戸地区のうち旧中野村の全域と旧両竹村の一部)が双葉町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年浪江町の一部(請戸地区のうち旧中浜村の一部と旧両竹村の一部)が双葉町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。