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中間市なかまし

1920年には2の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の中間市になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の中間市

今の中間市の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,362人です。今の区域で数えた1980年の48,647人とくらべると17.0%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.7%です。

40,362人人口(2020年)
−17.0%1980年からの増減
15.96km²面積(国土地理院)
2,529人/km²人口密度
37.7%65歳以上の割合
50,2941980199020052020
15歳未満 11.0%15〜64歳 51.3%65歳以上 37.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

中間市のなりたち

中間市(なかまし)は、福岡県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。長津村・底井野村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の中間市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1922年(大正11年)11月1日に長津村が合わさって、中間市が生まれました。1932年(昭和7年)3月1日に底井野村が、中間市に入りました(編入)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1958年ごろに中間町が市になり、中間市となりました(市制施行)。

今の名前「中間市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の長津村が約8km²だったのに対し、今の中間市は約16km²と、およそ1.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は遠賀郡に属していました。

21920年の町村の数
2回合併・編入の回数
16km²今の面積
1932年いちばん新しい合併

年表

  1. 1922年11月1日大正11年長津村が合わさって、中間市が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1932年3月1日昭和7年底井野村が、中間市に入った(編入)出典:wiki
  3. 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ中間町が市になり、中間市となった(市制施行)

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

中間町→中間市1922〜今
底井野村1889〜1932
長津村1889〜1922