今の勝山市
福井県の北東部、嶺北の内陸にある市です。九頭竜川の流れに沿って勝山盆地が開け、そのまわりを山々に囲まれています。東には白山へつながる山地が連なります。冬は雪の多い土地です。白山信仰の平泉寺をはじめ、織物のまちとしての歴史を持ち、近年は恐竜化石の発掘で知られる恐竜のまちとして歩んでいます。
今の勝山市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,150人です。今の区域で数えた1980年の30,852人とくらべると28.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.5%です。
主な産業:繊維産業と観光業が主で、羽二重から続く織物工場や、恐竜博物館を核にした観光が盛んです。
特産品・名産
- 羽二重くるみ羽二重餅とくるみを使った土産菓子
- 勝ち山おろしそば勝山産のそば粉を使ったおろしそば
見どころ・祭り
- 福井県立恐竜博物館恐竜の化石や全身骨格を展示する県の博物館
- 平泉寺白山神社白山信仰の拠点。参道は日本の道100選
- 勝山城博物館市内にある城郭風の博物館
- 弁天桜市内の景勝地として紹介される桜
- スキージャム勝山市内のスキー場
木スギ花サツキ勝山市の木・花
勝山市のなりたち
勝山市(かつやまし)は、福井県嶺北地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。猪野瀬村・荒土村・野向村・北谷村・北郷村・村岡村・鹿谷村・遅羽村・平泉寺村・勝山町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の勝山市になりました。
今の名前「勝山市」は、1920年にあった勝山町の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は大野郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、大野郡は2005年(平成17年)11月7日に廃止されました。
「勝山市」という名前
「勝山」の名は、戦国時代の一向一揆にちなむと伝えられています。天正2年(1574年)、一揆勢は村岡山(御立山)に立てこもり、平泉寺を焼き討ちしました。このとき一揆勢が村岡山を「勝ち山」と呼んだのが、地名の始まりといわれます。その後、一揆を鎮めた柴田勝安が麓の袋田村に城を築き、勝山城としました。城下町の名がやがて町の名になり、1954年(昭和29年)に市が生まれたときも、そのまま市の名に受け継がれました。
「勝山の地名は一揆勢が立てこもった御立山(通称村岡山)を「勝ち山」と呼んだことから起こったといわれます。」── 勝山市「勝山市の沿革について」
まちの成り立ち
勝山は九頭竜川がつくった河岸段丘の上に開けたまちで、旧石器時代から人が住んでいました。奈良時代に泰澄が開いたと伝わる平泉寺は白山信仰の拠点となり、中世には多くの坊が立ち並びました。戦国時代の一向一揆で平泉寺が焼かれたあと、柴田勝安が勝山城を築きます。江戸時代には勝山藩が置かれ、1691年(元禄4年)に入った小笠原氏が幕末まで治めました。
明治になると機業がおこり、羽二重などの絹織物、のちには人絹織物の産地として栄えました。1889年(明治22年)の町村制では、今の市域に勝山町と平泉寺村・猪野瀬村・村岡村・北谷村・野向村・荒土村・北郷村・鹿谷村・遅羽村の1町9村ができました。1931年(昭和6年)に猪野瀬村が勝山町に編入されます。
1954年(昭和29年)9月1日、勝山町と8つの村が合併し、市制を施行して勝山市が生まれました。旧村の区域では、今も「平泉寺町」「北谷町」のように旧村名を付けた町名が使われています。1988年(昭和63年)に北谷町杉山で肉食恐竜の化石が見つかり、2000年(平成12年)には福井県立恐竜博物館が開館しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大野郡に勝山町・平泉寺村・猪野瀬村・村岡村・北谷村・野向村・荒土村・北郷村・鹿谷村・遅羽村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1931年4月15日昭和6年大野郡猪野瀬村が勝山町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年9月1日昭和29年大野郡の勝山町・平泉寺村・村岡村・北谷村・野向村・荒土村・北郷村・鹿谷村・遅羽村が合併し、市制を施行して勝山市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.katsuyama.fukui.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。