今の上関町
山口県の最南部、室津半島の先端と長島・祝島・八島の三つの島からなる町です。瀬戸内海に面し、気候は温暖で雨が少なく、町の中心は半島先端の室津と、上関大橋で本土とつながる長島です。古くは船の荷を調べる関所が置かれた海上交通の要地でした。人口の減少と高齢化が進んでいます。農業ではミカン、漁業ではアジやタイなどが水揚げされます。
今の上関町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,342人です。今の区域で数えた1980年の6,773人とくらべると65.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は56.4%です。
主な産業:ミカンを中心とした農業と、アジ・タイ・ハモなどの漁業が中心です。
特産品・名産
- 温州みかん町の農業の中心となる柑橘
- マダイ町の魚とされる魚
- ハモ町の漁業で水揚げされる魚
見どころ・祭り
- 上関城山歴史公園上関城の跡にある公園。桜まつりが開かれる
- 上関大橋1969年に開通した、長島と本土を結ぶ橋
- 祝島町を構成する三つの島の一つ
- 道の駅上関海峡町内の道の駅
木ビャクシン花ノジギク上関町の木・花
上関町のなりたち
上関町(かみのせきちょう)は、山口県柳井圏の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。室津村・上関村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の上関町になりました。
今の名前「上関町」は、1920年にあった上関村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は熊毛郡に属していました。
「上関町」という名前
かつて瀬戸内海の西部には、船の荷を検査する番所が置かれていました。山口県のあたりでは、都に近い方から「上関」「中関」「下関」が設けられ、このうち「上関」が置かれた場所だったため、この地名がつきました。平安時代から室町時代の中ごろまでは「竈戸(かまど)」「竈戸関」と呼ばれ、1445年(文安2年)の東大寺への年貢船の記録に初めて「上関」の名が見えます。
まちの成り立ち
上関は、平安時代から室町時代の中ごろまで竈戸関と呼ばれ、瀬戸内海を行き交う船が立ち寄る風待ちの港でした。966年(康保3年)の書状には、長島の近くの集落がイカの塩辛を朝廷に納める御厨として記されています。鎌倉時代には地頭が置かれて関所の働きが強まり、室町時代には大内氏が支配しました。江戸時代に上関天満宮へ納められた灯籠の銘文には、室町時代に村上義顕が上関城を築いたと記されています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、長島・八島・祝島の区域をもって熊毛郡に上関村が発足しました。室津村は別の村でした。1958年(昭和33年)2月1日、上関村が室津村を編入し、同時に町制を施行して上関町となりました。1969年(昭和44年)には上関大橋が開通し、長島が本土と陸続きになりました。平成の大合併では、周りの市町と合併せず、単独の町として続いています。町域は室津半島の先端と、長島・祝島・八島の三つの島からなります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、熊毛郡に上関村(長島・八島・祝島)と室津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1958年2月1日昭和33年熊毛郡室津村が上関村に編入され、上関村は同じ日に町制を施行して上関町となった。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。