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狛江市こまえし

狛江市がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の狛江市

多摩川の左岸、武蔵野台地の南端にある平坦なまちです。東は世田谷区、西と北は調布市に接し、南は多摩川を隔てて川崎市と向き合います。小田急線の開通と戦後の住宅地の増加によって、農村から住宅都市へ発展しました。河川敷の五本松、古墳群、むいから民家園などが身近にあり、狛江の名を冠した菓子や枝豆を使った発泡酒も作られています。

今の狛江市の区域の人口は、2020年の国勢調査で84,772人です。今の区域で数えた1980年の70,836人とくらべると19.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.2%です。

84,772人人口(2020年)
+19.7%1980年からの増減
6.39km²面積(国土地理院)
13,266人/km²人口密度
24.2%65歳以上の割合
84,7721980199020052020
15歳未満 11.8%15〜64歳 64.0%65歳以上 24.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:住宅地の商業・サービス業に加え、農業と地域の食品加工が営まれます。

特産品・名産

  • サブレー万頭こまえクルミ餡を包んだ和洋菓子
  • 万葉最中万葉歌碑をかたどった最中
  • こまえ~る特産の枝豆を使った発泡酒

見どころ・祭り

  • むいから民家園農家の主屋と長屋門を移築復元
  • 多摩川五本松多摩川沿いの松並木の景勝地
  • 兜塚古墳墳丘の形がよく残る円墳

花ツツジ木イチョウ狛江市の花・木

狛江市のなりたち

狛江市(こまえし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では狛江村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
6km²今の面積
1893年いちばん新しい合併

「狛江市」という名前

「狛江」は、高麗を指す「こま」という音との関係が考えられてきた地名です。一方、狛江古墳群の形成を渡来人の移住と直接結び付ける説は、発掘調査の進展によって見直されました。1889年には和泉・猪方・岩戸・覚東・小足立・駒井の六村が合併して狛江村となり、1952年の町制、1970年の市制を経て、狛江の名が受け継がれています。

まちの成り立ち

狛江は多摩川の左岸、武蔵野台地の南の縁に位置し、川沿いの低地と台地に人々が暮らしてきました。縄文時代の住居跡や弥生時代の墓が見つかり、古墳時代には多くの古墳が築かれました。「狛江百塚」と呼ばれる古墳群には亀塚古墳や猪方小川塚古墳などがあり、地域の古い歴史を伝えています。近世には和泉・猪方・岩戸・覚東・小足立・駒井などの村で農業が営まれました。

1889年4月1日、六村が合併して神奈川県北多摩郡狛江村が発足しました。1893年4月1日には北多摩郡が東京府へ移されました。米や麦、野菜や果樹を育てる農村で、養蚕や多摩川での漁業も行われていました。1927年には小田急線が開通し、狛江駅と和泉多摩川駅が設けられました。

狛江村は1952年11月10日に狛江町となり、1970年10月1日に市制を施行しました。戦後の高度経済成長期に住宅地が増え、都心へ通う人々が暮らすまちへ変化しました。多摩川の河川敷や古民家園、各地の古墳には、川と農村に根差した歴史が残っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、和泉村・猪方村・岩戸村・覚東村・小足立村・駒井村が合併し、神奈川県北多摩郡狛江村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
  2. 1893年4月1日明治26年北多摩郡狛江村が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
  3. 1952年11月10日昭和27年狛江村が町制を施行し、狛江町となった。種類:町制施行 出典:www.city.komae.tokyo.jp
  4. 1970年10月1日昭和45年狛江町が市制を施行し、狛江市となった。種類:市制施行 出典:www.city.komae.tokyo.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

狛江村→狛江町→狛江市1889〜今

参考にした資料