今の西ノ島町
島根半島の北の日本海に浮かぶ、隠岐諸島の島前の一つ、西ノ島の全域が町です。火山島で起伏が激しく、島を東西に走る山並みで内海側と外海側に分かれます。外海側には海食断崖が長く続き、国賀海岸は国の名勝・天然記念物です。河川は小さく平地が少なく、丘陵に段々畑が開かれています。南岸の浦郷港は隠岐最大の漁業基地です。
今の西ノ島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,788人です。今の区域で数えた1980年の4,830人とくらべると42.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.2%です。
主な産業:漁業、観光、畜産が主な産業です。牛馬を放牧する「牧畑」の仕組みが受け継がれています。
特産品・名産
- 活イカ町の公式ページが紹介する水産物
- いわがきブランド化に取り組む貝
- サザエの缶詰水産加工品として紹介されている
見どころ・祭り
- 国賀海岸国の名勝・天然記念物。摩天崖がある
- 焼火神社岩穴に建つ社殿は国の重要文化財
- 黒木御所後醍醐天皇の行在所跡と伝わる
- 船引運河1915年に開削された内海と外海を結ぶ運河
- 由良比女神社隠岐国一の宮に定められた名神社
木黒松花椿西ノ島町の木・花
西ノ島町のなりたち
西ノ島町(にしのしまちょう)は、島根県隠岐の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。黒木村・浦郷村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の西ノ島町になりました。
今の名前「西ノ島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は知夫郡・隠岐郡に属していました。
「西ノ島町」という名前
「西ノ島」の名は、1957年(昭和32年)に浦郷町と黒木村が合わさったとき、公募で決められました。島の名である西ノ島からとったもので、昔から伝わる地名です。西ノ島は、かつて島前の海の玄関口であった知夫里島の西にあることから、こう呼ばれるようになったといわれます。島全体が一つの町になっています。
まちの成り立ち
西ノ島町は、隠岐諸島の島前にある西ノ島を町の区域としています。古代には智夫郡(知夫郡)に属し、宇良・由良・三田の3つの郷が置かれました。1332年(元弘2年)には後醍醐天皇がこの地に流され、黒木御所が置かれたといわれます。江戸時代には、日本海を行き来する西廻り航路の船が立ち寄る港として栄えました。島は山林が大部分で、耕地は美田川沿いのわずかな平地しかなく、放牧と畑作を順に回す牧畑と漁業が暮らしを支えてきました。1904年(明治37年)、隠岐に町村制が施行され、浦郷村と黒木村が発足しました。1915年(大正4年)には島の中ほどの地峡に船引運河が掘られ、東側の港から西側の漁場へ回り道をせずに行けるようになりました。浦郷村は1946年(昭和21年)11月3日に町制を施行して浦郷町となりました。1957年(昭和32年)2月11日、浦郷町と黒木村が合わさって西ノ島町が生まれました。1963年(昭和38年)に隠岐が国立公園に加わってからは、国賀海岸などを訪れる観光客が増えました。1969年(昭和44年)4月1日には隠岐郡に属しています。
年表
- 1904年4月1日明治37年隠岐国に町村制が施行され、西ノ島に知夫郡浦郷村と黒木村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1946年11月3日昭和21年知夫郡浦郷村が町制を施行し、浦郷町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1957年2月11日昭和32年知夫郡の浦郷町と黒木村が合併し、西ノ島町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1969年4月1日昭和44年周吉郡・穏地郡・海士郡・知夫郡の区域をもって隠岐郡が発足し、西ノ島町は隠岐郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.pref.shimane.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。