今の熊取町
大阪府南部、泉佐野市の東にある内陸の町です。南には和泉山脈につながる雨山があり、丘陵から北西の平野へ向けて土地が低くなります。見出川や雨山川、住吉川が町を流れ、ため池を利用する農業が営まれてきました。タオルなどの繊維産業を受け継ぐ一方、JR阪和線の熊取駅を中心に住宅地が広がります。大学が集まる学園のまちでもあり、南部には奥山雨山自然公園があります。
今の熊取町の区域の人口は、2020年の国勢調査で43,763人です。今の区域で数えた1980年の25,432人とくらべると72.1%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.0%です。
主な産業:タオル・綿スフ織物などの繊維産業と、ふきや水なすなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- タオル明治時代から続く地場の繊維製品
- ふき冷蔵した種茎を使うハウス栽培も行う
- 水なす泉南地域で栽培される皮の柔らかななす
見どころ・祭り
- 中家住宅岸和田藩の庄屋の住宅。国の重要文化財
- 来迎寺本堂国の重要文化財に指定されている本堂
- 奥山雨山自然公園雨山周辺の自然を生かした公園
木梅花ひまわり鳥メジロ熊取町の木・花・鳥
熊取町のなりたち
熊取町(くまとりちょう)は、大阪府泉南地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに熊取村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は泉南郡に属していました。
「熊取町」という名前
「熊取」は、周囲の山や丘陵に縁取られた谷、または盆地の地形に由来するという説があります。804年(延暦23年)に桓武天皇が遊猟した「熊取野」の名が伝わり、鎌倉時代には熊取荘という荘園がありました。江戸時代には熊取谷と呼ばれ、1889年の村の成立時にもこの名が引き継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、大久保・五門・紺屋・野田・七山・小垣内・久保・小谷の8村が合併し、日根郡熊取村が発足しました。江戸時代には岸和田藩に属していた村々です。1896年(明治29年)には南郡と日根郡の区域に泉南郡が置かれ、熊取村も泉南郡に属するようになりました。
ため池を使う農業とともに織物業が育ち、1893年ごろにはタオルの生産も始まりました。1930年(昭和5年)には阪和電気鉄道の天王寺・和歌山間がつながり、熊取駅が開設されました。戦後は繊維工業の発展に伴って人口が増え、1951年(昭和26年)11月3日に町制を施行して熊取町となりました。
1963年には京都大学原子炉実験所が設置されました。熊取駅が快速停車駅となり、丘陵地で宅地開発が進むと、大阪近郊の住宅都市へと姿を変えました。1985年以降は大学が相次いで開校し、学園のまちとしての性格も加わりました。五門には庄屋を務めた中家の住宅が残り、農村としての歴史を今に伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、日根郡の大久保村・五門村・紺屋村・野田村・七山村・小垣内村・久保村・小谷村が合併し、熊取村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年南郡と日根郡の区域に泉南郡が置かれ、日根郡熊取村が泉南郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1951年11月3日昭和26年泉南郡熊取村が町制を施行し、熊取町となった。種類:町制施行 出典:www.town.kumatori.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。