今の座間味村
沖縄本島の西方、慶良間諸島の西側の島々からなる村です。主な有人島は座間味島・阿嘉島・慶留間島で、周囲にはサンゴ礁の海が広がります。古座間味ビーチや北浜ビーチがあり、ダイビングなどの観光が盛んです。冬には繁殖や子育てのためにザトウクジラが訪れます。モズクなどの水産物や農産物が生産され、慶留間島には船乗りの暮らしを伝える高良家住宅が残っています。
今の座間味村の区域の人口は、2020年の国勢調査で892人です。今の区域で数えた1980年の761人とくらべると17.2%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は21.0%です。
主な産業:観光が主な産業で、モズクなどの水産物や農産物も生産されます。
特産品・名産
- モズク村の主な水産物
- らっきょう村で生産される農産物
- パパイヤ村で生産される農産物
見どころ・祭り
- 古座間味ビーチ座間味島にある砂浜
- 北浜ビーチ阿嘉島にある砂浜
- 高月山座間味島の風景を望む山
- 高良家住宅慶留間島にある国の重要文化財
木琉球松花ケラマツツジ座間味村の木・花
座間味村のなりたち
座間味村(ざまみそん)は、沖縄県南部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに座間味村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
- 1920年の郡
- 島尻郡
「座間味村」という名前
村名は、役場のある座間味島と座間味集落の名と共通しています。「座間味」という地名の語源ははっきりしていません。島の言葉では「じゃまん」と呼ばれます。1908年4月1日の島嶼町村制で座間味村が発足し、座間味島のほか、阿嘉島や慶留間島などを含む村の名前として使われています。現在も村役場は座間味島の座間味にあります。
まちの成り立ち
琉球王国の時代、座間味島の阿護の浦は、中国へ向かう進貢船や琉球へ来る冊封船が風を待つ港でした。村からは船乗りが育ち、番所山では船の接近を知らせるのろしが上げられました。明治期には屋嘉比島や久場島で銅の採掘が行われ、多くの人が働きました。
1896年に郡が設けられると、座間味の島々は島尻郡に属しました。1901年にはカツオ漁が始まり、村で作られるカツオ節は「慶良間節」と呼ばれました。1908年4月1日の島嶼町村制で座間味村が発足しました。1945年3月26日には沖縄戦で米軍が上陸し、多くの村民が犠牲となりました。
戦後は米国の施政下で村政が続き、1972年5月15日に沖縄が日本へ復帰しました。今の村は座間味島・阿嘉島・慶留間島をはじめとする島々からなり、阿佐・阿真・座間味・阿嘉・慶留間の五つの字があります。海上交通と漁業を担ってきた村では、ダイビングや冬のホエールウォッチングなどの観光が行われています。旧暦に沿った海御願など、海との関わりを伝える行事も受け継がれています。
年表
- 1896年4月1日明治29年慶良間諸島の座間味の区域が、新たに設けられた島尻郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、島尻郡に座間味村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
- 1972年5月15日昭和47年座間味村を含む沖縄が日本に復帰した。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/562/r08_2-6.pdf
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/816/r8.1.1shich
- www.vill.zamami.okinawa.jp/sonsei/intro/overview/
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BA%A7%E9%96%93%E5%91%B3%E6%9D%91&action=r
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B3%B6%E5%B0%BB%E9%83%A1&action=raw
- www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/934