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与那国町よなぐにちょう

与那国町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の与那国町

日本の最西端にある与那国島を区域とする町です。台湾に近い海上に位置し、島には宇良部岳や久部良岳があり、周囲の多くは断崖になっています。北部の祖納、西部の久部良、南部の比川の三つの集落があり、久部良には漁港があります。在来馬のヨナグニウマやクバの木も島の風景を形づくっています。カジキ漁や花酒などの特産品とともに、海や岬の景観を生かした観光が営まれています。

今の与那国町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,676人です。今の区域で数えた1980年の2,119人とくらべると20.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は21.5%です。

1,676人人口(2020年)
−20.9%1980年からの増減
28.9km²面積(国土地理院)
58人/km²人口密度
21.5%65歳以上の割合
2,1191980199020052020
15歳未満 18.0%15〜64歳 60.5%65歳以上 21.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:カジキなどの漁業や農業、花酒の製造、海と島の景観を生かした観光が営まれています。

特産品・名産

  • 花酒与那国島に伝わる蒸留酒
  • カジキ島の漁業を代表する魚
  • クバモチクバの葉を使った島の菓子

見どころ・祭り

  • 東崎島の東端にある岬
  • 西崎と日本最西端の碑島の西端に立つ碑と岬
  • 立神岩海上にそびえる岩
  • 与那国島の海底地形大きな岩の地形が広がる海中景観

木クバ花ユリ鳥リュウキュウメジロ与那国町の木・花・鳥

与那国町のなりたち

与那国町(よなぐにちょう)は、沖縄県八重山地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに与那国村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の郡
八重山郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
29km²今の面積

「与那国町」という名前

町名は、町の区域をなす与那国島の名を受け継いでいます。島では与那国を「どうなん」と呼びます。名の由来には、島に生えるユウナの木にちなむとする説があります。ユウナは島の言葉で「どうにんぱ」と呼ばれています。1914年の八重山村の分割で与那国村が置かれ、1947年に町制を施行して与那国町となりました。

まちの成り立ち

与那国島は台湾に近く、海を渡る人々の交流や交易にかかわってきました。1896年には石垣間切・大浜間切・宮良間切とともに八重山郡に属し、1908年4月1日の島嶼町村制では、八重山全域をまとめた八重山村の一部となりました。

海を隔てた島々を一村で治める不便から分村が進み、1914年4月1日に八重山村は石垣村・大浜村・竹富村・与那国村に分かれました。この時に与那国島を区域とする与那国村が発足しました。島には北部の祖納、西部の久部良、南部の比川の三つの集落があります。久部良には漁港があり、海の仕事と結び付いた暮らしが続いています。

戦後の米軍統治下で、1947年12月1日に与那国村が町制を施行し、与那国町となりました。1972年5月15日には沖縄の日本復帰を迎えました。台湾の花蓮市とは姉妹都市の関係を結び、海を隔てた地域との交流を続けています。島ではカジキ漁や花酒づくりが営まれ、クバを使った民具や、地域の祭りも暮らしとともに受け継がれています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年石垣間切・大浜間切・宮良間切と与那国島の区域に八重山郡が設置された。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、八重山郡全域を区域とする八重山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1914年4月1日大正3年八重山郡八重山村が石垣村・大浜村・竹富村・与那国村に分かれた。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  4. 1947年12月1日昭和22年八重山郡与那国村が町制を施行し、与那国町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp
  5. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、与那国町が日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

与那国村→与那国町1914〜今

参考にした資料