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渡嘉敷村とかしきそん

渡嘉敷村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の渡嘉敷村

沖縄本島の西方、慶良間諸島の東側にある村です。渡嘉敷島を中心に、前島や慶伊瀬島などの島々からなります。渡嘉敷島には渡嘉敷・渡嘉志久・阿波連の集落があり、那覇と船で結ばれています。阿波連ビーチや渡嘉志久ビーチでは、サンゴ礁の海を生かした観光が行われています。周囲の海での漁業や、マグロジャーキーなどの水産加工も島の産業となっています。

今の渡嘉敷村の区域の人口は、2020年の国勢調査で718人です。今の区域で数えた1980年の830人とくらべると13.5%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は20.3%です。

718人人口(2020年)
−13.5%1980年からの増減
19.23km²面積(国土地理院)
37人/km²人口密度
20.3%65歳以上の割合
8881980199020052020
15歳未満 19.2%15〜64歳 60.4%65歳以上 20.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:観光、漁業、マグロなどの水産加工が行われています。

特産品・名産

  • マグロジャーキーマグロを使った乾物
  • カツオの佃煮カツオを使った加工品
  • 島むんゼリー村の特産品として作られるゼリー

見どころ・祭り

  • 阿波連ビーチ阿波連集落にある砂浜
  • 渡嘉志久ビーチ渡嘉志久集落にある砂浜
  • 西山展望台島の風景を望む展望台

木クバ花ケラマツツジ渡嘉敷村の木・花

渡嘉敷村のなりたち

渡嘉敷村(とかしきそん)は、沖縄県南部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに渡嘉敷村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
島尻郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
19km²今の面積

「渡嘉敷村」という名前

村名の「渡嘉敷」は、村の中心となる渡嘉敷島と、村制の前にあった渡嘉敷間切の名を受け継いでいます。「とかしき」という地名そのものの語源ははっきりしていません。1908年には間切が村と呼ばれるようになり、4月1日の島嶼町村制で渡嘉敷村が発足しました。今も島の北東部の集落に渡嘉敷の名が残り、村役場が置かれています。

まちの成り立ち

琉球王国の時代、渡嘉敷は座間味とともに海上交通を支え、進貢船などの乗組員として働く人々を送り出していました。1896年に郡の制度が設けられると島尻郡に属し、島尻郡役所の行政区域に入りました。1903年にはカツオ漁が始まり、やがて若い働き手が多く従事する産業へと育ちました。

1908年1月に渡嘉敷間切は渡嘉敷村と呼ばれるようになり、4月1日に島嶼町村制が施行されました。1920年には一般町村制が施行され、村長や村会議員を選ぶ自治の仕組みが整えられました。1945年3月には米軍が上陸し、集落や公共施設が被害を受け、多くの住民が犠牲となりました。

戦後は米国の施政下で村政が続き、1972年5月15日の沖縄の日本復帰を迎えました。現在の村には渡嘉敷・阿波連・前島の三つの字があり、渡嘉敷の字には渡嘉敷と渡嘉志久の集落があります。2014年には座間味村とともに慶良間諸島国立公園に含まれました。周囲の海と島々を生かした観光や漁業、水産加工が、島の暮らしを支えています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年慶良間諸島の渡嘉敷の区域が、新たに設けられた島尻郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年1月1日明治41年島尻郡渡嘉敷間切が渡嘉敷村と称するようになった。種類:改称 出典:www.vill.tokashiki.okinawa.jp
  3. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、島尻郡に渡嘉敷村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  4. 1920年渡嘉敷村に一般町村制が施行された。種類:その他 出典:www.vill.tokashiki.okinawa.jp
  5. 1972年5月15日昭和47年渡嘉敷村を含む沖縄が日本に復帰した。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

渡嘉敷村1908〜今

参考にした資料