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多良間村たらまそん

多良間村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の多良間村

宮古島と石垣島の間にある多良間島と水納島からなる村です。多良間島は平坦な地形で、北部に塩川と仲筋の集落があります。家々や農地を風から守るフクギが植えられ、集落を取り囲む林と碁盤の目の道が島の景観を形づくっています。サトウキビ栽培や畜産が暮らしを支え、黒糖やヤギ料理が親しまれています。八月踊りやスツウプナカなど、集落ごとの祭りも受け継がれています。

今の多良間村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,058人です。今の区域で数えた1980年の1,667人とくらべると36.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.5%です。

1,058人人口(2020年)
−36.5%1980年からの増減
22km²面積(国土地理院)
48人/km²人口密度
30.5%65歳以上の割合
1,6671980199020052020
15歳未満 14.2%15〜64歳 55.3%65歳以上 30.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:サトウキビ栽培と製糖、肉用牛やヤギなどの畜産を中心に農業が営まれています。

特産品・名産

  • 黒糖サトウキビからつくる島の特産品
  • パナパンビン島に伝わる揚げ菓子
  • ヤギ汁祭事でも振る舞われる郷土料理

見どころ・祭り

  • 八月踊り塩川と仲筋で受け継がれる祭り
  • 土原豊見親のミャーカ島の統治者をしのぶ石造りの墓
  • フクギの集落防風林と碁盤目の道が残る集落
  • 八重山遠見台島の歴史を伝える遠見台

木フクギ花タラマバナ(ベニバナ)鳥ウズラ多良間村の木・花・鳥

多良間村のなりたち

多良間村(たらまそん)は、沖縄県宮古地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに多良間村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
宮古郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
22km²今の面積

「多良間村」という名前

村名は、多良間島の名を受け継いでいます。多良間島と水納島からなる村で、宮古島と石垣島の間に位置します。「多良間」という地名そのものの語源ははっきりしていません。1913年に平良村から塩川・仲筋・水納の地域が分かれた際、多良間村が発足しました。島に残る塩川と仲筋の名は、現在も二つの集落の名として使われています。

まちの成り立ち

多良間島と水納島では、宮古のほかの島々との交流を重ねながら人々が暮らしてきました。15世紀末には土原豊見親が島の諸勢力をまとめ、点在していた集落を現在の場所に集めたと伝えられています。塩川と仲筋には、集落を守るフクギの木々や、祭りの場となる御嶽が残っています。

1896年には宮古郡が置かれ、1908年の島嶼町村制で、多良間島と水納島は平良村の区域に入りました。その後、島の有志らによる分村運動が進み、1913年4月1日に平良村から分かれて多良間村が発足しました。1920年には役場庁舎が建設され、1948年には中学校が開校しました。

戦後も村の暮らしはサトウキビなどの農業と結び付いてきました。1972年5月15日には沖縄の日本復帰を迎えました。平成の合併協議では宮古地区の市町村とともに話し合いに加わりましたが、2004年に村長が協議会からの離脱を表明しました。多良間村は村政を続け、八月踊りやスツウプナカなど、二つの集落に伝わる祭りを受け継いでいます。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年多良間島などの区域に宮古郡が設置された。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、多良間島・水納島を含む区域に宮古郡平良村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1913年4月1日大正2年宮古郡平良村の塩川・仲筋・水納が分かれ、同郡多良間村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、多良間村に地方自治法が適用された。種類:その他 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

多良間村1913〜今

参考にした資料