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恩納村おんなそん

恩納村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の恩納村

沖縄本島の中央部から北部にかけて、西海岸に細長く広がる村です。西は東シナ海に面し、東には恩納岳をはじめとする山々が連なります。山を源とする川が海へ流れ、海岸沿いに集落とリゾートホテルが並びます。万座毛や真栄田岬などの海辺の景観で知られ、もずくや海ぶどうの養殖、花や熱帯果樹の栽培も営まれています。山間には喜瀬武原の集落があります。

今の恩納村の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,869人です。今の区域で数えた1980年の8,013人とくらべると35.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.1%です。

10,869人人口(2020年)
+35.6%1980年からの増減
50.81km²面積(国土地理院)
214人/km²人口密度
24.1%65歳以上の割合
10,8691980199020052020
15歳未満 14.6%15〜64歳 61.3%65歳以上 24.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:海岸のリゾート観光を中心に、花卉・果樹栽培やもずくなどの養殖が営まれています。

特産品・名産

  • もずく村の沿岸で養殖される海藻
  • 海ぶどう養殖が行われる食用の海藻
  • アテモヤ村の特産として栽培される熱帯果樹

見どころ・祭り

  • 万座毛海に面する石灰岩の断崖と草地
  • 真栄田岬ダイビングなどで知られる海辺の岬
  • 仲泊遺跡集落の歴史を伝える遺跡
  • 国頭方西海道琉球王国時代の交通を伝える歴史の道

木フクギ花ユウナ恩納村の木・花

恩納村のなりたち

恩納村(おんなそん)は、沖縄県北部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに恩納村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
国頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
51km²今の面積

「恩納村」という名前

「恩納」は古くからある集落と間切の名前を受け継いでいます。『おもろさうし』には「おんな」に関する歌があり、集落は「うんな」と呼ばれていたと考えられています。「うんな」を大きな土地や広場の意味とする説もありますが、語源ははっきりしていません。1673年に恩納間切が置かれ、1908年の村制施行後も恩納の名が村名として続いています。

まちの成り立ち

恩納村の前身である恩納間切は、1673年に金武間切と読谷山間切の一部を分けて置かれました。恩納の集落には間切番所があり、村の行政の中心となっていました。1908年4月1日の沖縄県及び島嶼町村制施行によって、国頭郡恩納村となりました。海岸沿いの集落では農業や漁業が営まれ、山側の集落とも結びついて暮らしが続きました。

戦後も村の歩みは続き、1972年5月15日に日本復帰を迎えました。復帰後に開催された沖縄国際海洋博覧会をきっかけとして、村の産業と海岸の景観は大きく変わります。サンゴ礁と海辺の自然を観光資源として、大型のリゾートホテルが建ち並ぶようになりました。

農業ではサトウキビに加え、花や観葉植物、熱帯果樹などの栽培が広がりました。漁業でも魚を捕る仕事に加えて、もずくや海ぶどうなどの養殖が育ちました。2012年9月には沖縄科学技術大学院大学が開学し、国際的な研究の拠点が加わりました。海沿いの集落を結ぶ道のそばで、宿泊や商業、研究の施設と昔からの農漁業がともに営まれています。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年沖縄県及び島嶼町村制の施行により、国頭郡恩納村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、国頭郡恩納村の施政権が日本へ移った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

恩納村1908〜今

参考にした資料