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今帰仁村なきじんそん

今帰仁村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の今帰仁村

沖縄本島北部、本部半島の北東部に位置する村で、古宇利島も村域に含まれます。南側には乙羽岳を中心とする山並みが連なり、北や東へ向かって農地と集落が広がります。スイカやゴーヤー、マンゴーなどの栽培が行われ、畜産や漁業も営まれています。今帰仁城跡は北山の歴史を伝える場所です。運天港や古宇利大橋など、海と島々を結ぶ風景にも村の特徴があります。

今の今帰仁村の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,894人です。今の区域で数えた1980年の9,593人とくらべると7.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.0%です。

8,894人人口(2020年)
−7.3%1980年からの増減
39.94km²面積(国土地理院)
223人/km²人口密度
34.0%65歳以上の割合
9,5931980199020052020
15歳未満 15.0%15〜64歳 51.0%65歳以上 34.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:スイカやゴーヤーなどの農業、畜産、漁業、城跡や海を生かした観光が営まれています。

特産品・名産

  • スイカ村の代表的な農産物
  • ゴーヤー温暖な気候で育つ野菜
  • マンゴー村で栽培される熱帯果実

見どころ・祭り

  • 今帰仁城跡北山の歴史を伝える世界遺産の城跡
  • 乙羽岳村南部の山並みの中心となる山
  • 古宇利大橋古宇利島と屋我地島を結ぶ橋
  • 運天森公園運天港近くにある公園

木リュウキュウマツ花ハイビスカス鳥サンコウチョウ今帰仁村の木・花・鳥

今帰仁村のなりたち

今帰仁村(なきじんそん)は、沖縄県北部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに今帰仁村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
国頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
40km²今の面積

「今帰仁村」という名前

「今帰仁」は、古い歌謡や辞令書に現れる「みやきせん」と呼ばれた土地の名につながっています。1471年の『海東諸国紀』には「伊麻寄時利」と記され、近世には「今帰仁」の表記が使われるようになりました。かつて本部半島の大半に及んだ今帰仁間切の名が、1908年に発足した今帰仁村へと受け継がれています。

まちの成り立ち

今帰仁村の地域は、琉球王国時代には今帰仁城を中心とする北山の拠点でした。かつての今帰仁間切は、現在の本部町を含む本部半島の大半に広がっていました。1666年に今帰仁間切と伊野波間切に分かれ、現在の村に近い区域となります。

1896年に国頭郡が置かれると、今帰仁間切は同郡に属しました。1908年4月1日の島嶼町村制により、国頭郡今帰仁村となりました。間切を村とする新しい行政の仕組みのもと、地域の生活が営まれるようになります。1916年には運天港にあった役場が仲宗根へ移り、村の行政の中心も移りました。

沖縄戦後は米軍統治の時代を経て、1972年5月15日の日本復帰を迎えました。村の東側にある運天港は、その後も島々を結ぶ航路の拠点となっています。2005年には古宇利大橋が開通し、村内の古宇利島と名護市の屋我地島が橋で結ばれました。今帰仁城跡のある西側から運天港や古宇利島のある東側まで、歴史を受け継ぐ集落が広がっています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年沖縄県の郡編制により国頭郡が発足し、今帰仁間切が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制により、今帰仁間切が国頭郡今帰仁村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1916年今帰仁村の役場が運天港から仲宗根へ移転した。種類:その他 出典:www.nakijin.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、今帰仁村に地方自治法が適用された。種類:その他 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

今帰仁村1908〜今

参考にした資料