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名護市なごし

1920年には3の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の名護市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の名護市

沖縄本島北部にある市で、名護湾に面する市街地を中心に、山地や東海岸の集落、羽地内海と屋我地島まで広がります。北部の商業や行政の拠点である一方、パイナップルやシークヮーサーなどの農産物にも恵まれています。ビールや泡盛の製造も行われます。ひんぷんガジュマルや名護城跡公園、轟の滝など、海辺と山の双方に見どころがあります。

今の名護市の区域の人口は、2020年の国勢調査で63,554人です。今の区域で数えた1980年の45,991人とくらべると38.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.5%です。

63,554人人口(2020年)
+38.2%1980年からの増減
210.8km²面積(国土地理院)
301人/km²人口密度
22.5%65歳以上の割合
63,5541980199020052020
15歳未満 17.1%15〜64歳 60.4%65歳以上 22.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業や商業、観光に加え、ビール・泡盛などの製造業が営まれています。

特産品・名産

  • パイナップル温暖な気候のもとで育つ果物
  • シークヮーサー市の代表的なかんきつ類
  • オリオンビール名護で製造されるビール

見どころ・祭り

  • ひんぷんガジュマル名護のまちを象徴する大木
  • 轟の滝名護湾に近い滝
  • 羽地内海屋我地島などに囲まれた内海
  • 名護城跡公園ナングスクと呼ばれる城跡の公園

木ガジュマル花テッポウユリ鳥リュウキュウメジロ名護市の木・花・鳥

名護市のなりたち

名護市(なごし)は、沖縄県北部地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。久志村・羽地村・名護村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の名護市になりました。

名前
1920年の名護村の名前を受け継ぐ(ほかの2町村の名前は自治体名から消えた)
面積
1920年の名護村の約47km² → 今の約191km²(約4.1倍)
1920年の郡
国頭郡
31920年の町村の数
1回合併・編入の回数
211km²今の面積
1970年いちばん新しい合併

「名護市」という名前

「名護」は、合併前の名護町から引き継いだ市名です。さらに前身の名護村、琉球王国時代の名護間切へとさかのぼる地名です。1908年に名護村、1924年に名護町となったあと、1970年に周辺の4村と新しい市をつくる際にも、この名が用いられました。地名そのものの語源は、はっきりしていません。

まちの成り立ち

1908年4月1日、島嶼町村制により国頭郡の名護村・羽地村・久志村が発足しました。今の市域は、この3村を基礎としています。1923年4月には久志村の有銘・慶佐次・平良・川田・宮城が分かれて東村となりました。翌1924年2月1日には名護村が町制を施行し、名護町となります。

沖縄戦後には、米軍統治下の臨時行政区として田井等市などが置かれました。1946年5月には屋部地域が名護町から、屋我地島の地域が羽地村から分かれ、それぞれ屋部村・屋我地村となりました。同じ時期に臨時行政区の整理も進み、久志村の行政が再開されました。こうして市の前身となる1町4村がそろいました。

1970年8月1日、国頭郡の名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村が新設合併し、名護市が誕生しました。名護湾沿いの市街地から羽地内海、屋我地島、東海岸の久志地域までが一つの市域となりました。1972年5月15日の日本復帰を経て、現在も旧町村の名を冠した地域や支所が、市内各地の暮らしを支えています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年沖縄県の郡編制により国頭郡が発足し、名護間切・羽地間切・久志間切が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制により、国頭郡の名護間切・羽地間切・久志間切が、それぞれ名護村・羽地村・久志村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1923年4月1日大正12年国頭郡久志村の一部(有銘・慶佐次・平良・川田・宮城)が分立し、同郡東村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  4. 1924年2月1日大正13年国頭郡名護村が町制を施行し、名護町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp
  5. 1945年9月昭和20年米軍統治下で、現在の名護市域に臨時行政区の田井等市が置かれた。種類:その他 出典:www.city.nago.okinawa.jp
  6. 1946年米軍統治下の瀬嵩市・久志市が統合され、久志村の行政が再開された。種類:その他 出典:www.city.nago.okinawa.jp
  7. 1946年5月昭和21年国頭郡名護町の一部(屋部・安和・山入端・宇茂佐)が分立し、同郡屋部村が発足した。種類:分割 出典:www.city.nago.okinawa.jp
  8. 1946年5月昭和21年国頭郡羽地村の屋我地島の地域が分立し、同郡屋我地村が発足した。種類:分割 出典:www.city.nago.okinawa.jp
  9. 1946年5月昭和21年米軍統治下の田井等市などの臨時行政区が廃止された。種類:その他 出典:www.city.nago.okinawa.jp
  10. 1970年8月1日昭和45年国頭郡の名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村が新設合併し、名護市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  11. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、名護市に地方自治法が適用された。種類:その他 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

名護村→名護町→名護市1908〜今
久志村1908〜1970
羽地村1908〜1970
屋部村1889〜1970
屋我地村1889〜1970

参考にした資料