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金武町きんちょう

金武町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の金武町

沖縄本島北部の東海岸にあり、金武湾に面する町です。山側の森林から海辺の集落へ川が流れ、湧き水に恵まれた土地では田芋などが栽培されています。金武観音寺や金武大川が地域の歴史と水の文化を伝えます。町域の大きな部分を米軍基地が占め、基地のゲート前には独特の街並みを持つ新開地が広がります。海外移民を送り出した歴史とタコライスでも知られます。

今の金武町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,806人です。今の区域で数えた1980年の9,745人とくらべると10.9%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.8%です。

10,806人人口(2020年)
+10.9%1980年からの増減
37.93km²面積(国土地理院)
285人/km²人口密度
27.8%65歳以上の割合
11,2321980199020052020
15歳未満 17.4%15〜64歳 54.8%65歳以上 27.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:田芋などの農業と泡盛づくり、商業・飲食業、歴史や食を生かす観光が営まれています。

特産品・名産

  • 田芋水田で育てられる町の農産物
  • 泡盛町内の蔵元が造る蒸留酒
  • タコライス金武町名物の米飯料理

見どころ・祭り

  • 金武大川地域の暮らしを支えてきた湧き水
  • 金武観音寺金武の歴史を伝える寺院
  • 當山紀念館海外移民の歴史を伝える施設
  • 伊芸のガジマル伊芸集落にある大きなガジマル

木クバ花サクラ金武町の木・花

金武町のなりたち

金武町(きんちょう)は、沖縄県北部地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに金武村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の郡
国頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
38km²今の面積

「金武町」という名前

「金武」の地名がいつ生まれたかははっきりしていません。1501年の玉陵碑文には王子を指す「きんのあんし」という呼び名が見え、1584年の恩納ノロ辞令書にも「きんまきり」と記されています。琉球王国時代から続く金武間切の名を、1908年に発足した金武村が受け継ぎました。1980年に町となったときも、金武の名前と「きん」という読みが続いています。

まちの成り立ち

金武町の前身は、琉球王国時代から続く金武間切です。1908年4月1日の沖縄県及び島嶼町村制施行によって、国頭郡金武村となり、間切内の集落は字に改められました。戦前は農林業が人々の暮らしを支え、山から切り出した薪や炭などは船で沖縄本島の中南部へ運ばれました。並里出身の當山久三が海外移民を送り出し、金武は移民の多い地域にもなりました。

沖縄戦では金武・並里の北側に米軍の飛行場が建設され、屋嘉には日本軍の捕虜収容所が置かれました。民間人の収容地域となった北東側では人口が増え、1946年4月1日、金武村の一部が分離して宜野座村が発足しました。

戦後は飛行場跡などに米軍基地が設けられ、基地建設の仕事を求める人々も集まりました。基地のゲート前には飲食店などが並ぶ新開地が形成され、農村だった村の産業構造が変わりました。1972年5月15日の日本復帰を経て、1980年4月1日に町制を施行し、金武町となりました。田芋の栽培や泡盛づくりが続く一方、新開地にはタコライスなどの食文化も育ちました。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年沖縄県及び島嶼町村制の施行により、国頭郡金武村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1946年4月1日昭和21年国頭郡金武村の一部が分離し、宜野座村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、国頭郡金武村の施政権が日本へ移った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
  4. 1980年4月1日昭和55年国頭郡金武村が町制を施行し、金武町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

金武村→金武町1908〜今

参考にした資料