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伊平屋村いへやそん

伊平屋村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の伊平屋村

沖縄本島の北方、東シナ海にある伊平屋島と野甫島からなる村です。二つの島は野甫大橋で結ばれ、田名・前泊・我喜屋・島尻・野甫の五つの字があります。今帰仁村の運天港とフェリーで結ばれ、農業と水産業が暮らしを支えています。稲作が古くから盛んで、米や黒糖、モズクなどが特産です。島には念頭平松やクマヤ洞窟、神アシャギなど、自然と歴史に関わる場所が点在しています。

今の伊平屋村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,126人です。今の区域で数えた1980年の1,501人とくらべると25.0%減り、人口は2005年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は29.6%です。

1,126人人口(2020年)
−25.0%1980年からの増減
21.84km²面積(国土地理院)
52人/km²人口密度
29.6%65歳以上の割合
1,5471980199020052020
15歳未満 17.3%15〜64歳 53.1%65歳以上 29.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:稲作やサトウキビ栽培、モズクなどの水産業が基幹産業です。

特産品・名産

  • 米(ちゅらひかり)島で生産される米
  • 黒糖サトウキビから作る特産品
  • モズク島の海の特産品

見どころ・祭り

  • 念頭平松島に残る大きな松
  • クマヤ洞窟天の岩戸伝説が伝わる洞窟
  • 野甫大橋伊平屋島と野甫島を結ぶ橋
  • 伊平屋村立歴史民俗資料館農耕・漁労や暮らしの歴史を紹介

木クバ花ツツジ(タイワンヤマツツジ)伊平屋村の木・花

伊平屋村のなりたち

伊平屋村(いへやそん)は、沖縄県北部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに伊平屋村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
島尻郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
22km²今の面積

「伊平屋村」という名前

「伊平屋」は、伊平屋島に古くから伝わる名前です。古書には「えひや」「恵平也」などの表記がみられます。かつては伊是名島や周囲の島々も合わせて「伊平屋の七離れ」と呼ばれました。1908年に伊是名島を含む区域で伊平屋村が成立し、1939年の分村後も伊平屋島と野甫島の村にこの名が受け継がれています。

まちの成り立ち

1896年に郡が設けられると、伊平屋島や伊是名島は島尻郡に属しました。1908年4月1日の島嶼町村制で、田名・我喜屋・島尻・野甫・伊是名・仲田・諸見・勢理客の八つの村を区域とする伊平屋村が成立しました。役場は伊是名島に置かれ、海を渡って行政の用事を済ませる伊平屋島側では、分村を求める運動が起こりました。1916年には島の有志が県へ分村を請願しています。

1939年7月1日、伊是名・仲田・諸見・勢理客が伊是名村として分かれました。伊平屋村は伊平屋島と野甫島からなる村となり、小学校内に役場の事務所が置かれました。1940年には新庁舎が完成しています。戦後は米国の施政下で村政が続き、1972年5月15日に沖縄が日本へ復帰しました。

1979年には野甫大橋が開通し、二つの島が道路で結ばれました。今は田名・前泊・我喜屋・島尻・野甫の五つの字があります。古くから続く稲作を背景に、田の草取りや収穫など農作業の節目に行われてきた豊年祭やウンジャミなどの行事が伝えられています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年伊平屋諸島が、新たに設けられた島尻郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、田名・我喜屋・島尻・野甫・伊是名・仲田・諸見・勢理客の区域で島尻郡伊平屋村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1939年7月1日昭和14年島尻郡伊平屋村の一部(伊是名・仲田・諸見・勢理客)が分離し、伊是名村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年伊平屋村を含む沖縄が日本に復帰した。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

伊平屋村1908〜今

参考にした資料