今の伊江村
沖縄本島の本部半島沖に浮かぶ伊江島の村です。平坦な島の中央付近には、タッチューと呼ばれる城山がそびえています。島らっきょうや紅芋、サトウキビなどの栽培と畜産が営まれ、伊江島牛やピーナツ菓子も特産です。北海岸には湧出の断崖があり、リリーフィールドはユリの花で知られます。本部港と結ぶ村営フェリーが日々の交通を支え、村踊や海神祭などの文化も受け継がれています。
今の伊江村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,118人です。今の区域で数えた1980年の5,039人とくらべると18.3%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.6%です。
主な産業:島らっきょうや紅芋などの農業、畜産、農産物の加工、観光が営まれています。
特産品・名産
- 島らっきょう島の代表的な農産物
- 伊江島牛島で育てられる牛肉
- ピーナツ菓子落花生を使った島の菓子
見どころ・祭り
- 城山(タッチュー)島の中央付近にそびえる岩山
- 湧出北海岸にある断崖の景勝地
- ニヤティヤ洞島の西側にある洞窟
- リリーフィールドユリの花が広がる公園
木ガジュマル花テッポウユリ伊江村の木・花
伊江村のなりたち
伊江村(いえそん)は、沖縄県北部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに伊江村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
- 1920年の郡
- 国頭郡
「伊江村」という名前
「伊江」は、村を構成する伊江島の名を受け継いだものです。1908年4月1日に村制が施行され、伊江村と呼ばれるようになりました。島内にはそれ以前から東江上・東江前・西江上・西江前・川平の集落があり、新しい村のもとで字として続いています。「伊江」という島名自体の語源は、はっきりしていません。
まちの成り立ち
伊江島では、東江村・西江村・川平村を基礎に集落が形づくられてきました。明治時代には東江村と西江村がそれぞれ二つに分かれ、東江上・東江前・西江上・西江前・川平の5村となりました。1896年には伊江島が国頭郡の区域に入り、1908年4月1日の島嶼町村制により、国頭郡伊江村となりました。
1920年12月1日には村営の船舶運航事業が始まり、島外との往来を支えるようになります。沖縄戦では激しい戦闘があり、島に残っていた住民も戦後に慶良間諸島へ移送されました。疎開先や移送先から住民が帰村したのは1947年3月です。このころ真謝と西崎の区が分かれ、現在につながる8行政区が整いました。
1972年5月15日の日本復帰後には、港や航路、生活基盤の整備が進みました。1973年3月にはカーフェリーが就航し、1977年1月には本部と伊江島を結ぶ海底送水工事が完成します。長く水不足に悩んできた島の暮らしは、海を渡る水と航路によって支えられるようになりました。
年表
- 1896年4月1日明治29年沖縄県の郡編制により国頭郡が発足し、伊江島が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1908年4月1日明治41年島嶼町村制により、伊江島の区域に国頭郡伊江村が発足し、島内の東江上・東江前・西江上・西江前・川平は字となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1920年12月1日大正9年伊江村が村営の船舶運航事業を開始した。種類:その他 出典:www.iejima.org
- 1947年3月昭和22年疎開先や戦後の移送先から住民が伊江村へ帰還し、村での暮らしを再開した。種類:その他 出典:www.iejima.org
- 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、伊江村に地方自治法が適用された。種類:その他 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/816/r8.1.1shich
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/562/r08_2-4.pdf
- www.iejima.org/document/2014120600031/
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BC%8A%E6%B1%9F%E6%9D%91&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9B%BD%E9%A0%AD%E9%83%A1&action=raw