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東村ひがしそん

東村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1896年から

今の東村

沖縄本島北部の東海岸に位置し、太平洋に面する村です。山林が海岸近くまで迫り、福地川などの川沿いに集落が広がっています。パイナップルとかぼちゃの栽培を中心とする農業が営まれ、農家での体験や自然を生かした観光も行われています。慶佐次湾にはヒルギ林があり、村内のダムは沖縄本島の水源を担います。つつじ園でも知られ、海・川・森の景観が身近にあります。

今の東村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,598人です。今の区域で数えた1980年の2,067人とくらべると22.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.7%です。

1,598人人口(2020年)
−22.7%1980年からの増減
81.75km²面積(国土地理院)
20人/km²人口密度
36.7%65歳以上の割合
2,1341980199020052020
15歳未満 12.4%15〜64歳 50.9%65歳以上 36.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:パイナップルやかぼちゃを中心とする農業と、自然体験型の観光が営まれています。

特産品・名産

  • パイナップル村の基幹作物として栽培される
  • かぼちゃ村の代表的な農産物
  • マンゴー村内で栽培される熱帯果実

見どころ・祭り

  • 慶佐次湾のヒルギ林河口部に広がるマングローブ林
  • つつじ園村民の森に整備されたつつじの園
  • 山と水の生活博物館村の自然と暮らしを紹介する施設

木ヒルギ花つつじ鳥ノグチゲラ東村の木・花・鳥

東村のなりたち

東村(ひがしそん)は、沖縄県北部地方の村です。

1920年の郡
国頭郡
01920年の町村の数
0回合併・編入の回数
82km²今の面積

「東村」という名前

「東」は、旧久志村の東側に位置することと、太平洋から朝日が昇る姿にちなむ村名とされています。1923年に有銘以東の5字が久志村から分かれる際、「日の出るところ東なり」という意味を込めて名付けられたと伝えられます。方角を表す一字に、新しい村として歩み出す土地の位置と朝日の情景が重なっています。

まちの成り立ち

現在の東村の地域は、琉球王国時代には名護間切に属し、1673年に名護間切から分かれた久志間切の一部となりました。1908年4月1日には島嶼町村制が施行され、国頭郡久志村に属する地域となります。

その後、有銘以東の集落で分村を求める動きが高まりました。1923年4月1日、有銘・慶佐次・平良・川田・宮城の5字が久志村から分かれ、国頭郡東村が誕生しました。翌1924年には宮城の北東部が高江となり、今につながる6字の構成が整いました。

沖縄戦後の1945年9月1日、米軍統治下で国頭村・大宜味村とともに、臨時行政の辺土名市にまとめられました。1946年1月には3村それぞれの行政に戻りました。1972年5月15日の日本復帰後には、役場庁舎や道路、農地、集会施設などの整備が進みます。1974年には福地ダムが完成しました。海沿いの集落と山あいの暮らしを基盤に、農業と水源地域としての役割を持つ村の歩みが続いています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年沖縄県の郡編制により国頭郡が発足し、久志間切が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制により久志間切が国頭郡久志村となり、現在の東村域も同村に属した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1923年4月1日大正12年国頭郡久志村の一部(有銘・慶佐次・平良・川田・宮城)が分立し、同郡東村が発足した。種類:分割 出典:www.vill.higashi.okinawa.jp
  4. 1945年9月1日昭和20年米軍統治下の臨時行政として、国頭村・大宜味村・東村の3村をまとめた辺土名市が置かれた。種類:その他 出典:www.vill.kunigami.okinawa.jp
  5. 1946年1月昭和21年米軍統治下の辺土名市の行政が国頭村・大宜味村・東村に分けられ、3村それぞれの行政に戻った。種類:その他 出典:www.vill.kunigami.okinawa.jp
  6. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、東村に地方自治法が適用された。種類:その他 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

東村1889〜今

参考にした資料