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宜野座村ぎのざそん

宜野座村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1896年から

今の宜野座村

沖縄本島北部の東海岸にあり、金武湾に面する村です。内陸の山々から海へ川が流れ、海岸の集落の背後にはサトウキビや野菜、果樹の畑が広がります。漢那ダムの水辺や松田鍾乳洞など、山と海に近い自然が特色です。イチゴやマンゴーなどの産物を扱う道の駅ぎのざがあり、阪神タイガースの春季キャンプをはじめ、スポーツを通じた交流も行われています。

今の宜野座村の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,833人です。今の区域で数えた1980年の4,022人とくらべると45.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.6%です。

5,833人人口(2020年)
+45.0%1980年からの増減
31.31km²面積(国土地理院)
186人/km²人口密度
25.6%65歳以上の割合
5,8331980199020052020
15歳未満 19.9%15〜64歳 54.6%65歳以上 25.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:サトウキビ・野菜・果樹栽培を軸に、情報産業やスポーツ・体験観光も展開しています。

特産品・名産

  • イチゴ村が生産振興に取り組む果物
  • マンゴー村を代表する熱帯果樹
  • 馬鈴薯畑地で栽培される野菜

見どころ・祭り

  • 道の駅ぎのざ村の産物と観光の情報が集まる施設
  • 漢那ダム森林と水辺の景観が広がるダム
  • 松田鍾乳洞松田地区にある鍾乳洞
  • 漢那ビーチ金武湾に面する海辺

木リュウキュウマツ花ツツジ鳥メジロ宜野座村の木・花・鳥

宜野座村のなりたち

宜野座村(ぎのざそん)は、沖縄県北部地方の村です。

1920年の郡
国頭郡
01920年の町村の数
0回合併・編入の回数
31km²今の面積

「宜野座村」という名前

「宜野座」は、村の発足よりも前から使われていた集落名です。1649年の『絵図郷村帳』には、古知屋・宜野座・惣慶・漢那の名が見えます。この一帯は金武間切の「上四ヶ」と呼ばれました。1946年に金武村から分かれて新しい村が発足した際、宜野座村となりました。古い集落名が村全体の名前にもなっていますが、地名そのものの語源ははっきりしていません。

まちの成り立ち

宜野座村の地域は、かつて金武間切の北側を占めていました。古知屋・宜野座・惣慶・漢那の四つの集落は「上四ヶ」と呼ばれ、地域のまとまりを持っていました。1896年には国頭郡に属し、1908年4月1日の町村制施行で金武村の一部となりました。

沖縄戦の際には、米軍占領後の民間人収容地域となり、各地から多くの人々が集まりました。1946年4月1日、金武村の一部が分離して宜野座村が発足しました。村役所の建設や電灯、簡易水道の整備が進み、病院や裁判所などの公共機関も戦後復興を支えました。

1950年代には「農業立村」「教育立村」を村政の柱とし、農業ダムや農地の整備、教育に力を注ぎました。1972年5月15日の日本復帰後も土地改良を進め、農業の基盤を整えました。やがて自然と産業の調和を目指し、文化や福祉の施設、観光施設、情報産業の拠点が加わりました。2003年には阪神タイガースの春季キャンプを誘致しました。農業にスポーツや体験観光を組み合わせ、道の駅ぎのざなどで村の産物を紹介しています。

年表

  1. 1896年古知屋・宜野座・惣慶・漢那など、現在の宜野座村域が国頭郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.vill.ginoza.okinawa.jp
  2. 1908年4月1日明治41年沖縄県及び島嶼町村制の施行により、国頭郡金武村が発足し、現在の宜野座村域もその一部となった。種類:町村制 出典:www.vill.ginoza.okinawa.jp
  3. 1946年4月1日昭和21年国頭郡金武村の一部が分離し、宜野座村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、国頭郡宜野座村の施政権が日本へ移った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

宜野座村1889〜今

参考にした資料