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粟国村あぐにそん

粟国村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の粟国村

沖縄本島の北西、東シナ海にある粟国島全体を区域とする村です。東・西・浜の三つの字があり、屋敷を囲むフクギの並木が残っています。島では農業や漁業が営まれ、黒糖や塩、ソテツの実を使ったみそなどが特産です。マハナ展望台やウーグの浜、洞寺など、海辺や島の歴史に関わる場所が点在しています。旧暦の行事では、神人によって歌われるウムイなどの文化が受け継がれています。

今の粟国村の区域の人口は、2020年の国勢調査で683人です。今の区域で数えた1980年の1,086人とくらべると37.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.7%です。

683人人口(2020年)
−37.1%1980年からの増減
7.65km²面積(国土地理院)
89人/km²人口密度
36.7%65歳以上の割合
1,0861980199020052020
15歳未満 12.1%15〜64歳 51.2%65歳以上 36.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業や漁業に加え、黒糖や塩、農水産物の加工品が生産されます。

特産品・名産

  • 粟國の塩島近海の海水を原料とする塩
  • ソテツみそソテツの実のでんぷんを使ったみそ
  • 黒糖村の代表的な特産品

見どころ・祭り

  • マハナ展望台島の海岸風景を望む展望台
  • ウーグの浜長浜ビーチとも呼ばれる浜
  • 洞寺(テラ)島に残る信仰の場所
  • 大正池公園島内にある公園

木フクギ花テッポウユリ粟国村の木・花

粟国村のなりたち

粟国村(あぐにそん)は、沖縄県南部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに粟国村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
島尻郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
8km²今の面積

「粟国村」という名前

「粟国」は、かつて島で粟が主な農産物だったことにちなむ名といわれています。「アワグニ」という呼び方が変化して「アグニ」になったとする説です。古い記録には「亜哇群尼」「阿姑尼」など、さまざまな表記が残っています。1908年4月1日の島嶼町村制で粟国村となり、島全体を区域とする村に島の名が受け継がれています。

まちの成り立ち

粟国島では琉球王国の時代から島の行政が営まれ、浜に番所が置かれていました。1879年には八重村が西村と東村に分かれ、浜村と合わせて島の三つの地域が形づくられました。1896年に郡が設けられると、島尻郡に属しました。1897年には島長や収入役、書記が置かれ、番所が役場になりました。

1902年には製糖業が始まり、1908年4月1日の島嶼町村制で粟国村が発足しました。1920年に一般町村制が施行され、村長は議会で選ばれるようになりました。1945年には空襲を受け、米軍の上陸を経て戦後の復興が始まりました。米国の施政下でも村政が続き、1972年5月15日に沖縄が日本へ復帰しました。

復帰後は交通や生活の基盤整備が進みました。1975年に簡易水道が完成し、1978年には粟国空港が開港しました。雨水をためる石の水がめ「トゥージ」を使ってきた島では、1987年に海水淡水化工場も完成しています。現在は東・西・浜の三つの字があり、屋敷を囲むフクギや、旧暦の行事で歌われるウムイなどが島の文化を伝えています。

年表

  1. 1896年4月1日明治29年粟国島が、新たに設けられた島尻郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、島尻郡に粟国村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1920年粟国村に一般町村制が施行された。種類:その他 出典:www.aguni-archive.jp
  4. 1972年5月15日昭和47年粟国村を含む沖縄が日本に復帰した。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

粟国村1908〜今

参考にした資料