今の出雲崎町
新潟県の中越地方で、日本海に面した町です。海沿いの街道に妻入りの家が長く並ぶ町並みで知られます。江戸時代には北前船の寄港地、佐渡から運ばれる金銀の荷揚げ地として栄えました。良寛の生まれた町で、尼瀬は近代の石油産業が始まった地とされます。遠浅の海が広がり、海沿いには夕日を眺める名所があります。
今の出雲崎町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,113人です。今の区域で数えた1980年の7,048人とくらべると41.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.9%です。
主な産業:紙風船づくりが知られ、米づくり、酪農、漁業も営まれています。
特産品・名産
- 紙風船生産量が全国一とされる地場産業
見どころ・祭り
- 良寛と夕日の丘公園海を見渡す丘の公園
- 出雲崎の妻入りのまち並み海沿いの街道に続く町並み
- 尼瀬油田近代石油産業が始まった地とされる
木ケヤキ花アカサカツツジ出雲崎町の木・花
出雲崎町のなりたち
出雲崎町(いずもざきまち)は、新潟県中越地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。西越村・出雲崎町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の出雲崎町になりました。
今の名前「出雲崎町」は、1920年にあった出雲崎町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の出雲崎町が約3km²だったのに対し、今の出雲崎町は約45km²と、およそ15.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三島郡に属していました。
「出雲崎町」という名前
「出雲崎」という名前の由来は、はっきりしていません。江戸時代、海沿いの街道に出雲崎と尼瀬の二つの町が並んでいました。1889年(明治22年)の町村制でそれぞれ出雲崎町・尼瀬町となり、1904年(明治37年)に二つが合わさって出雲崎町となりました。1957年(昭和32年)に西越村と合わさったときは、いったん出雲町という名前で発足し、同じ日に出雲崎町へ名前を戻しています。
まちの成り立ち
出雲崎は日本海に面した港町です。江戸時代には幕府が直接治める天領となり、北前船が立ち寄る港、佐渡から運ばれる金銀の荷揚げ地として栄えました。海沿いの街道には妻入りの家が長く並び、良寛が生まれた町で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも登場します。
1889年(明治22年)の町村制で、三島郡に出雲崎町・尼瀬町と、山側の西越村・中越村・八手村が生まれました。1901年には西越村・中越村・八手村が合わさって新しい西越村となり、1904年には出雲崎町と尼瀬町が合わさって新しい出雲崎町となりました。
1957年(昭和32年)6月20日、出雲崎町と西越村が合わさって出雲町が生まれ、同じ日に名前を出雲崎町と改めました。これが今の町の範囲のもとになっています。平成の合併のころには与板町・和島村との合併も話し合われましたが、出雲崎町は合併せずに今も単独の町です。
尼瀬は日本の近代の石油産業が始まった地とされ、町には石油記念館があります。紙風船づくりも町の地場産業として知られています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三島郡に出雲崎町・尼瀬町・西越村・中越村・八手村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年三島郡の西越村・中越村・八手村が合併し、改めて西越村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1904年4月1日明治37年三島郡の出雲崎町と尼瀬町が合併し、改めて出雲崎町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1957年6月20日昭和32年三島郡の出雲崎町と西越村が合併して出雲町が発足し、同じ日に改称して出雲崎町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。