今の女川町
宮城県の太平洋沿岸、牡鹿半島にある町です。町域の三方を北上山地が囲み、林野が大部分を占めて平地は少なく、女川湾が深く入り込みます。ギンザケ・ホタテ・ホヤ・カキなどの養殖と、サンマなどの沿岸漁業が盛んで、女川漁港は日本有数の漁港です。東日本大震災で津波の被害を受けたあと、駅前を中心に町が整備し直されました。
今の女川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,430人です。今の区域で数えた1980年の16,105人とくらべると60.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.4%です。
主な産業:漁業・養殖業を中心とする水産の町で、水産加工業もあります。
特産品・名産
- サンマ水揚げ量が全国有数の魚
- ギンザケ養殖が盛んで水揚げ量が全国有数
- ホヤ・ホタテ・カキ女川湾などで養殖される
見どころ・祭り
- シーパルピア女川女川駅前の商店街。道の駅にもなっている
- 大六天展望台コバルトライン沿いの太平洋の眺め
- 旧女川交番津波で倒れた交番を残した震災遺構
- 女川温泉ゆぽっぽ女川駅に併設された町営の温泉
- 指ヶ浜貝塚町の史跡に指定された貝塚
木杉花さくら鳥うみねこ女川町の木・花・鳥
女川町のなりたち
女川町(おながわちょう)は、宮城県石巻地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに女川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は牡鹿郡に属していました。
「女川町」という名前
町名は、町内を流れる小さな渓流「女川」に由来するとされます。前九年の役のころ、安倍貞任が源氏の軍と戦った際、一族の女性や子どもを奥地の安野平(あのたいら)に逃がしたことから、そこから流れ出す川を「女川」と呼ぶようになり、のちに地名になったと伝えられています。1889年(明治22年)にできた村の名にも、この女川の名が使われました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)、町村制の施行で、藩政時代に女川組と呼ばれた20の浜の村がまとまり、牡鹿郡に女川村が発足しました。1926年(大正15年)4月1日に町制を施行し、女川町になりました。それからあとは周りの町村と合併せず、ひとつの町として続いています。
女川湾は深く入り込んだ天然の良港で、1939年(昭和14年)には石巻線の女川駅が開業しました。太平洋戦争の末期の1945年(昭和20年)8月9日には、連合国軍機の空襲で海軍の艦艇7隻が女川湾で沈められました。1984年(昭和59年)には女川原子力発電所が運転を始めています。
町は牡鹿半島の付け根にあり、陸の側は石巻市に囲まれています。沖には江島や出島などの島があります。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、津波で町の中心部が大きな被害を受けました。その後、女川駅の周りを中心に町がつくり直され、駅前には商店街のシーパルピア女川ができました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、牡鹿郡の女川浜など20浜の村の区域で女川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1926年4月1日大正15年牡鹿郡女川村が町制を施行して女川町となった。種類:町制施行 出典:www.town.onagawa.miyagi.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。