今の南三陸町
宮城県北東部、三陸海岸の南部に位置し、志津川湾と伊里前湾に面する町です。湾内には椿島、竹島、船形島、野島などの島があり、リアス式海岸の景観が続きます。西・北・南西は北上山地の支脈に連なり、町土の7割以上が森林です。ギンザケ、カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメなどの海面養殖が盛んです。沿岸部一帯は三陸復興国立公園に指定されています。
今の南三陸町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,225人です。今の区域で数えた1980年の22,243人とくらべると45.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.5%です。
主な産業:ギンザケやカキ、ホタテなどの海面養殖と漁業が中心です。
特産品・名産
- ギンザケ志津川湾で養殖される魚
- カキ志津川湾の海面養殖
- ワカメ志津川湾の海面養殖
見どころ・祭り
- 神割崎海岸の景勝地
- 田束山ツツジで知られる信仰の山
- 椿島タブノキの原生林に覆われた島
- 南三陸311メモリアル震災の記憶を伝える施設
木タブノキ花ツツジ鳥イヌワシ南三陸町の木・花・鳥
南三陸町のなりたち
南三陸町(みなみさんりくちょう)は、宮城県気仙沼・本吉地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。入谷村・戸倉村・歌津村・志津川町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の南三陸町になりました。
今の名前「南三陸町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の戸倉村が約47km²だったのに対し、今の南三陸町は約170km²と、およそ3.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は本吉郡に属していました。
「南三陸町」という名前
町の名は、2005年(平成17年)に志津川町と歌津町が合併したときに公募で決まりました。「リアス町」など多くの案が寄せられ、その中から最も票の多かった「南三陸」が選ばれました。町が三陸海岸の南部にあることを表した名前で、合併した2つの町のどちらの名も使っていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、本吉郡に本吉村・戸倉村・入谷村・歌津村が発足しました。本吉村は1895年(明治28年)10月31日に町制を施行し、名前を改めて志津川町となりました。江戸時代から入谷地区を中心に養蚕が盛んな土地でした。
1955年(昭和30年)3月1日、志津川町・戸倉村・入谷村が合併し、新しい志津川町が発足しました。歌津村は合併することなく、1959年(昭和34年)4月1日に町制を施行して歌津町になりました。1960年(昭和35年)5月には、チリ地震による津波が三陸海岸に届き、志津川町も大きな被害を受けました。
2005年(平成17年)10月1日、志津川町と歌津町が新設合併して南三陸町が生まれました。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、大津波が町の中心部をのみこみ、町役場の防災対策庁舎も被災しました。その後、防災対策庁舎の周辺には震災復興祈念公園がつくられ、2022年(令和4年)には南三陸311メモリアルが開館しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、本吉郡に本吉村・戸倉村・入谷村・歌津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1895年10月31日明治28年本吉郡本吉村が町制を施行するとともに改称して志津川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年本吉郡の志津川町・戸倉村・入谷村が合併し、改めて志津川町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1959年4月1日昭和34年本吉郡歌津村が町制を施行して歌津町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年本吉郡の志津川町と歌津町が合併して南三陸町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.miyagi.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。