今の木曽岬町
三重県の北東端、木曽川と鍋田川にはさまれた河口部の低地にある町です。県境の鍋田川を越えると愛知県で、西は木曽川をはさんで桑名市長島町、南は伊勢湾に面します。江戸時代から輪中の新田として開かれた平坦な土地で、町内に鉄道はなく、最寄り駅は愛知県弥富市にあります。トマトの産地として知られ、郵便や電話は愛知県側と同じ区域という珍しい町です。
今の木曽岬町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,023人です。今の区域で数えた1980年の4,986人とくらべると20.8%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は35.5%です。
主な産業:トマト栽培が盛んで、三重県のトマト出荷量の約6割を占めるとされます。メロンや観葉植物、海苔も特産品です。
特産品・名産
- トマト(とまリッチ)1956年に栽培が始まった町の名産。高糖度のものを「とまリッチ」の名で販売
- メロン・観葉植物・海苔県の市町要覧で名産・特産品として挙げられる
見どころ・祭り
- 鍋田川堤桜並木鍋田川の堤に続く桜並木。4月に桜まつり
- 木曽岬町立文化資料館町の歴史を伝える資料館
- 輪中駅伝大会2月に開かれる町の恒例行事
木桜花スイセン木曽岬町の木・花
木曽岬町のなりたち
木曽岬町(きそさきちょう)は、三重県北勢地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに木曽岬村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は桑名郡に属していました。
「木曽岬町」という名前
町名の「木曽」は、町の西を流れる木曽川にちなむとみられます。1889年(明治22年)、木曽川河口の新田をまとめて村をつくったときに「木曽岬村」と名づけられました。ただし、命名の経緯をはっきり記した資料は確認できていません。
まちの成り立ち
木曽岬町は、木曽川と鍋田川にはさまれた河口の低地に、江戸時代から開かれた新田の町です。1627年(寛永4年)に諸戸家の兄弟が加路戸新田や六反田新田の開墾を始め、その後も大新田などが次々に開かれました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、加路戸新田・大新田・源緑新田・白鷺新田など25の新田の区域をまとめて、桑名郡木曽岬村が置かれました。昭和・平成の大合併でもほかの市町村と合併せず、1989年(平成元年)5月1日に町制を施行して木曽岬町となりました。今では桑名郡に残るただ一つの町です。1963年(昭和38年)に鍋田川が締め切られて愛知県側と陸続きになり、三重県でありながら郵便番号や電話の市外局番は愛知県弥富市と同じ区域になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、桑名郡の加路戸新田・大新田・源緑新田・白鷺新田など25の新田の区域をもって桑名郡木曽岬村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1989年5月1日平成元年桑名郡木曽岬村が町制を施行して木曽岬町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。