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舞鶴市まいづるし

1920年には20の町村だった区域が、7回の合併・編入を経て、今の舞鶴市になりました。

20町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の舞鶴市

京都府北東部、日本海に開く舞鶴湾を囲む港町です。入り組んだ海岸と山々が湾を取り巻き、西地区には田辺城の城下町が、東地区には旧海軍の赤れんが倉庫などが残ります。大浦地区には引き揚げの歴史を伝える施設があり、加佐地区には由良川沿いの農村風景が広がります。港を通した物流や水産業、ものづくりと、各地区の歴史を生かした観光が営まれています。

今の舞鶴市の区域の人口は、2020年の国勢調査で80,336人です。今の区域で数えた1980年の97,578人とくらべると17.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.5%です。

80,336人人口(2020年)
−17.7%1980年からの増減
342.06km²面積(国土地理院)
235人/km²人口密度
32.5%65歳以上の割合
98,7751980199020052020
15歳未満 12.4%15〜64歳 55.1%65歳以上 32.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:港湾物流、水産業や水産加工、製造業、歴史を生かした観光が営まれています。

特産品・名産

  • 舞鶴かまぼこ港町で受け継がれる魚の練り製品
  • 万願寺甘とう舞鶴の特産野菜
  • 舞鶴茶舞鶴で生産される茶

見どころ・祭り

  • 舞鶴赤れんがパーク旧海軍の赤れんが倉庫群
  • 五老スカイタワー舞鶴湾を見渡す展望施設
  • 舞鶴引揚記念館戦後の引き揚げを伝える資料館

木ケヤキ花ツツジ舞鶴市の木・花

舞鶴市のなりたち

舞鶴市(まいづるし)は、京都府中丹地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、20の町村がありました。丸八江村・東雲村・四所村・余内村・中筋村・池内村・高野村・志楽村・中舞鶴町・新舞鶴町・倉梯村・与保呂村・東大浦村・西大浦村・朝来村・神崎村・岡田中村・岡田上村・岡田下村・舞鶴町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の舞鶴市になりました。

今の名前「舞鶴市」は、1920年にあった舞鶴町の名前を受け継いでいます。ほかの19の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は加佐郡に属していました。

201920年の町村の数
7回合併・編入の回数
342km²今の面積
1957年いちばん新しい合併

「舞鶴市」という名前

「舞鶴」の名は、田辺城の別名「舞鶴城」に由来します。この城の名は「ぶかくじょう」と読まれていました。1869年(明治2年)、紀伊や山城にも田辺という地名があったため、藩名の変更が命じられました。そこで城の別名を訓読みした「まいづる」が採用され、舞鶴藩と呼ばれるようになります。城下町の町名を経て、現在の市名にも受け継がれています。

まちの成り立ち

舞鶴には、田辺城の城下町として育った西地区と、海軍の拠点として発展した東地区があります。1889年(明治22年)の町村制で、加佐郡舞鶴町と周辺の村々が発足しました。1901年に海軍舞鶴鎮守府が開かれると、湾岸で計画的な市街地づくりが進みます。余内村の一部から1902年に余部町が生まれ、1919年には中舞鶴町と改称しました。倉梯村と志楽村の一部からは、1906年に新舞鶴町が生まれています。

1936年、舞鶴町は四所・高野・中筋・池内・余内の5村を編入しました。1938年(昭和13年)8月1日には舞鶴町が市制を施行します。同じ日に、新舞鶴町・中舞鶴町と倉梯・与保呂・志楽の3村が合併して東舞鶴市が発足しました。東舞鶴市は1942年に朝来・東大浦・西大浦の3村を編入します。1943年(昭和18年)5月27日、舞鶴市と東舞鶴市が新設合併し、現在につながる舞鶴市が生まれました。

由良川沿いでは、1955年に岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎の5村が加佐町をつくりました。1957年5月27日に加佐町が舞鶴市へ編入され、現在の市域となります。城下町、港、由良川沿いの集落が一つの市として歩んでいます。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、加佐郡に舞鶴町・岡田上村・岡田中村・岡田下村・丸八江村・東雲村・神崎村・四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村・倉梯村・与保呂村・志楽村・朝来村・東大浦村・西大浦村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1902年6月1日明治35年加佐郡余内村の一部(余部上・余部下・和田・長浜)が分かれ、加佐郡余部町が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  3. 1906年7月1日明治39年加佐郡倉梯村の一部(北吸・浜・溝尻・森・行永)と志楽村の一部(市場と泉源寺の一部)が分かれ、加佐郡新舞鶴町が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  4. 1919年11月1日大正8年加佐郡余部町が改称し、中舞鶴町となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  5. 1928年10月1日昭和3年加佐郡丸八江村・東雲村が合併し、加佐郡八雲村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1936年8月1日昭和11年加佐郡四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村が加佐郡舞鶴町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  7. 1938年8月1日昭和13年加佐郡舞鶴町が市制を施行し、舞鶴市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.kyoto.jp
  8. 1938年8月1日昭和13年加佐郡新舞鶴町・中舞鶴町・倉梯村・与保呂村・志楽村が合併し、東舞鶴市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
  9. 1942年8月1日昭和17年加佐郡朝来村・東大浦村・西大浦村が東舞鶴市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 1943年5月27日昭和18年舞鶴市・東舞鶴市が合併し、改めて舞鶴市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
  11. 1955年4月20日昭和30年加佐郡岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村が合併し、加佐郡加佐町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
  12. 1957年5月27日昭和32年加佐郡加佐町が舞鶴市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

舞鶴町→舞鶴市1889〜今
加佐町1955〜1957
神崎村1889〜1955
岡田中村1889〜1955
岡田上村1889〜1955
岡田下村1889〜1955
八雲村1928〜1955
丸八江村1889〜1928
東雲村1889〜1928
東大浦村1889〜1942
西大浦村1889〜1942
朝来村1889〜1942
志楽村1889〜1938
中舞鶴町1889〜1938
新舞鶴町1906〜1938
倉梯村1889〜1938
与保呂村1889〜1938
四所村1889〜1936
余内村1889〜1936
中筋村1889〜1936
池内村1889〜1936
高野村1889〜1936

参考にした資料