今の伊根町
京都府北部、丹後半島の北端にある町です。北と東は日本海に面し、海岸沿いの集落と、筒川を中心とした内陸の農地が広がります。伊根湾には舟を収める舟屋が並び、背後の山林と一体となった景観が残っています。浦嶋太郎や徐福の伝説を伝える神社、新井の千枚田なども点在し、ブリや岩がきなどの海の産物と、米や野菜を育てる暮らしが受け継がれています。
今の伊根町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,928人です。今の区域で数えた1980年の4,021人とくらべると52.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は48.5%です。
主な産業:漁業と稲作などの農業を基盤に、舟屋の景観や文化を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- 伊根ブリ冬に水揚げする寒ブリ
- 伊根まぐろ町を代表する海の産物
- 岩がき「夏珠」伊根町産のブランド岩がき
見どころ・祭り
- 伊根の舟屋伊根湾を囲む舟屋の集落
- 新井の千枚田海を望む棚田の景観
- 宇良神社浦嶋太郎伝説を伝える神社
- 新井崎神社徐福伝説を伝える神社
伊根町のなりたち
伊根町(いねちょう)は、京都府丹後地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。本庄村・筒川村・朝妻村・伊根村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の伊根町になりました。
今の名前「伊根町」は、1920年にあった伊根町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の伊根村が約4km²だったのに対し、今の伊根町は約61km²と、およそ13.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は与謝郡に属していました。
「伊根町」という名前
「伊根」の名は、垂仁天皇の皇子・稲別尊の「稲」にちなむと伝えられています。中世には「伊禰」と書かれ、江戸時代の中ごろから「伊根」の表記が使われるようになりました。1889年に伊根村が発足し、1954年に朝妻村・本庄村・筒川村と合併した際も、伊根の名を新しい町に引き継ぎました。海辺の集落に伝わる名が、内陸部も含む町名となっています。
まちの成り立ち
伊根町は、丹後半島の北部で日本海に面するまちです。海岸部では漁業、内陸部では稲作や養蚕を中心に暮らしが営まれてきました。宇良神社には浦嶋子の伝説、新井崎神社には徐福の伝説が伝わり、海と結ばれた土地の歴史を今に残しています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、与謝郡伊根村・朝妻村・本庄村・筒川村が発足しました。伊根村は亀島村・平田村・日出村、朝妻村は大原村・新井村・井室村・六万部村・泊村・津母村・峠村・畑谷村を合わせた村です。本庄村は本庄上村・本庄宇治村・本庄浜村・野室村・長延村・蒲入村、筒川村は菅野村・野村・本坂村から生まれました。1954年(昭和29年)11月3日、この4村が新設合併して伊根町が誕生しました。
伊根湾の海辺には、舟を収める舟屋が並び、背後の山林と一体となった景観が受け継がれています。2005年には伊根浦の舟屋群が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。現在はブリや岩がきなどの漁業、水田や畑の農業とともに、舟屋の景観や地域の文化を生かした観光が営まれ、海辺と山あいの暮らしが一つの町を支えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、与謝郡亀島村・平田村・日出村が合併して与謝郡伊根村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、与謝郡大原村・新井村・井室村・六万部村・泊村・津母村・峠村・畑谷村が合併して与謝郡朝妻村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、与謝郡本庄上村・本庄宇治村・本庄浜村・野室村・長延村・蒲入村が合併して与謝郡本庄村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、与謝郡菅野村・野村・本坂村が合併して与謝郡筒川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年与謝郡伊根村・朝妻村・本庄村・筒川村が合併して与謝郡伊根町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。