今の田野畑村
岩手県沿岸北部、下閉伊郡にある村です。太平洋に面し、村の海岸線はすべて三陸復興国立公園に含まれます。北は普代村、西から南は岩泉町と接します。北山崎や鵜ノ巣断崖などの断崖が続く海岸が知られます。農林水産業が盛んな村で、酪農も営まれます。漁船や観光船のクルーズ、海釣り、ダイビング、トレッキングなど体験型の観光にも力を入れています。
今の田野畑村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,059人です。今の区域で数えた1980年の5,225人とくらべると41.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.4%です。
主な産業:農林水産業が盛んで、酪農も主産業です。体験型観光にも取り組んでいます。
特産品・名産
- ウニ村の特産品として紹介される海産物
- 山ぶどう村の特産品として紹介される
- 乳製品牛乳・ヨーグルト・アイスなど
見どころ・祭り
- 北山崎三陸復興国立公園の断崖
- 鵜ノ巣断崖三陸復興国立公園の断崖
- 机浜番屋群漁業漁村の歴史文化財産百選に選定
- 津波石明治三陸大津波が運んだと伝わる岩
木キリ花シロバナシャクナゲ鳥ヤマドリ田野畑村の木・花・鳥
田野畑村のなりたち
田野畑村(たのはたむら)は、岩手県沿岸の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに田野畑村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は下閉伊郡に属していました。
「田野畑村」という名前
田野畑という地名の由来は、はっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、それまでの田野畑村・浜岩泉村・沼袋村をまとめて新しい田野畑村が置かれ、村名には田野畑の名が引きつがれました。1965年(昭和40年)に定めた村章は「タ」の字を図案にしたもので、円は村民の団結を表しています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、北閉伊郡の田野畑村・浜岩泉村・沼袋村の区域をまとめて田野畑村が生まれました。1897年(明治30年)4月1日には北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡が一つになって下閉伊郡ができ、田野畑村は下閉伊郡に属しました。昭和と平成の大合併のときもどこの町村とも合併せず、明治の村の形を今に伝えています。
江戸時代の終わりには、1847年(弘化4年)と1853年(嘉永6年)に、盛岡藩の重い負担に抗議する三閉伊一揆が起こりました。
三陸の海沿いにある村は、たびたび津波に襲われてきました。1896年(明治29年)の明治三陸津波で打ち上げられたと伝わる羅賀地区の「津波石」は、今も残っています。2011年(平成23年)の東日本大震災では、三陸鉄道の島越駅が流され、漁港や養殖施設にも大きな被害が出ました。
1955年(昭和30年)5月2日、北山崎と鵜ノ巣断崖が陸中海岸国立公園(今の三陸復興国立公園)に指定されました。2006年(平成18年)には机浜番屋群が、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北閉伊郡田野畑村・浜岩泉村・沼袋村の区域をもって北閉伊郡田野畑村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡が統合されて下閉伊郡となり、田野畑村は下閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。