今の野田村
岩手県北東部にある九戸郡の村です。北上山地の東の麓にあり、東は太平洋の野田湾に面しています。山地が多く起伏がありますが、宇部川の谷底や根井付近の台地は平らです。海岸には十府ヶ浦などの砂浜や海岸段丘が続き、三陸復興国立公園の一部です。北は久慈市、南は普代村、西は岩泉町と接します。江戸時代から製塩が行われ、今も塩づくりが続いています。
今の野田村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,936人です。今の区域で数えた1980年の5,304人とくらべると25.8%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.5%です。
主な産業:漁業(ホタテ)、製塩、山ぶどう栽培、養豚などが営まれています。
特産品・名産
- のだ塩野田港の地下海水を薪窯で煮詰めた塩
- 荒海ホタテ野田湾の外海で育つホタテ
- 南部福来豚村の公式サイトの特産品
見どころ・祭り
- 十府ヶ浦海岸野田湾に面した海岸
- えぼし岩野田村の海岸にある岩
- 大唐の倉海岸の景勝地
- 野田玉川鉱山マリンローズパーク野田玉川
木クロマツ花ハマナス鳥セキレイ野田村の木・花・鳥
野田村のなりたち
野田村(のだむら)は、岩手県県北の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに野田村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は九戸郡に属していました。
「野田村」という名前
野田という地名の由来は、はっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、それまでの野田村と玉川村が一つになり、新しい野田村が生まれました。村名は大きいほうの野田村の名前を引きついだものです。玉川の名前は、今も玉川地区や玉川漁港、野田玉川鉱山などに残っています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)、町村制の施行で、それまでの野田村と玉川村がまとまり、南九戸郡野田村が生まれました。村役場は城内に置かれました。1897年(明治30年)4月1日に南北の九戸郡が一つになり、野田村は九戸郡に属しました。
村では江戸時代から海水を煮つめる塩づくりが盛んでした。できた塩は牛の背に載せて内陸まで運ばれ、その道は「野田塩ベコの道」と呼ばれています。
三陸の沿岸にある村は、1896年(明治29年)と1933年(昭和8年)の大津波で被害を受けました。1949年(昭和24年)には下安家にサケのふ化施設ができています。1975年(昭和50年)に国鉄久慈線が通り、1984年(昭和59年)からは三陸鉄道が引きついで走らせています。1987年(昭和62年)には玉川鉱山の坑道が見学できるようになりました。
昭和の大合併でも平成の大合併でも、野田村はほかの市町村と合併しませんでした。2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波で村の中心部が大きな被害を受けました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、野田村と玉川村の区域をもって南九戸郡野田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年南九戸郡と北九戸郡が統合されて九戸郡となり、野田村は九戸郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。