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南あわじ市みなみあわじし

1920年には19の町村だった区域が、6回の合併・編入を経て、今の南あわじ市になりました。

19町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の南あわじ市

南あわじ市は淡路島の南部を占め、鳴門海峡を隔てて四国に向き合っています。中央の三原平野では玉ねぎなどの農業や畜産が盛んで、海沿いでは漁業や養殖が営まれています。西岸には慶野松原、南岸には灘黒岩水仙郷があり、沖には沼島が浮かびます。津井などでは淡路瓦の生産が続き、福良では淡路人形浄瑠璃が受け継がれています。平野の農地、港、山地と島の集落がつながるまちです。

今の南あわじ市の区域の人口は、2020年の国勢調査で44,137人です。今の区域で数えた1980年の57,744人とくらべると23.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.7%です。

44,137人人口(2020年)
−23.6%1980年からの増減
229.01km²面積(国土地理院)
193人/km²人口密度
36.7%65歳以上の割合
57,7441980199020052020
15歳未満 11.9%15〜64歳 51.4%65歳以上 36.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業・畜産、漁業・養殖業、淡路瓦の製造、食品加工と観光業が盛んです。

特産品・名産

  • 淡路島たまねぎ三原平野を中心に栽培される産物
  • 淡路島3年とらふぐ地域の養殖業を代表する魚
  • 淡路瓦津井などで生産が続く瓦

見どころ・祭り

  • 慶野松原白砂と黒松が続く海岸の名勝
  • 灘黒岩水仙郷冬に日本水仙が咲く海沿いの斜面
  • 淡路人形浄瑠璃福良で受け継がれる人形芝居

木黒松花日本水仙南あわじ市の木・花

南あわじ市のなりたち

南あわじ市(みなみあわじし)は、兵庫県淡路地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、19の町村がありました。上灘村・榎列村・八木村・市村・神代村・賀集村・北阿万村・灘村・阿万村・福良町・沼島村・松帆村・湊村・津井村・阿那賀村・志知村・伊加利村・倭文村・広田村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の南あわじ市になりました。

今の名前「南あわじ市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの19の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の広田村が約28km²だったのに対し、今の南あわじ市は約225km²と、およそ8.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は三原郡・津名郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、三原郡は2005年(平成17年)1月11日に廃止されました、津名郡は2006年(平成18年)2月11日に廃止されました。

191920年の町村の数
6回合併・編入の回数
229km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「南あわじ市」という名前

南あわじ市の名前は、淡路島の南部という市の位置を表しています。緑町・西淡町・三原町・南淡町の合併に向け、2003年に新市名が町内外から募集されました。合併協議会では候補を絞り、「南淡路市」「淡路みはら市」「南あわじ市」「おのころ市」の4案を選びました。最後は委員の投票によって、ひらがなの「あわじ」を用いた現在の市名に決まりました。

まちの成り立ち

1889年の町村制で、淡路島の南部には三原郡の福良町や広田村・倭文村・榎列村・賀集村などが発足しました。港のある湊村は1927年、阿万村は1934年に町制を施行しました。農村や漁村の自治体がまとまる動きは、1955年から大きく進みます。

1955年4月3日、榎列村・八木村・市村・神代村の新設合併で三原町が生まれました。7日には賀集村・北阿万村・阿万町・灘村が南淡町をつくり、29日には南淡町・福良町・沼島村が改めて新設合併しました。1957年7月には湊町・松帆村・津井村・伊加利村・阿那賀村・志知村が西淡町となり、広田村と倭文村は緑村となりました。

この時期には区域の移動も続きました。倭文村の一部は1957年6月と7月に三原町へ移り、広田村の納・鮎屋は洲本市へ編入されました。同年10月には西淡町の旧志知村区域の一部が三原町へ移っています。緑村は1960年に緑町となりました。2005年1月11日、緑町・西淡町・三原町・南淡町が新設合併し、南あわじ市が発足しました。三原平野の農業、海辺の漁業や瓦づくり、沼島の暮らしを受け継ぐ市となっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三原郡に福良町・広田村・倭文村・松帆村・湊村・津井村・阿那賀村・伊加利村・志知村・榎列村・八木村・市村・神代村・賀集村・北阿万村・阿万村・灘村・沼島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1927年9月1日昭和2年三原郡湊村が町制を施行し、湊町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
  3. 1934年4月1日昭和9年三原郡阿万村が町制を施行し、阿万町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
  4. 1955年4月3日昭和30年三原郡榎列村・八木村・市村・神代村が合併し、三原町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1955年4月7日昭和30年三原郡賀集村・北阿万村・阿万町・灘村が合併し、南淡町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1955年4月29日昭和30年三原郡南淡町・福良町・沼島村が合併し、改めて南淡町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1957年6月1日昭和32年三原郡倭文村の一部(倭文委文組・倭文流組・高道高組)が三原町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  8. 1957年7月1日昭和32年三原郡倭文村の一部(高道神道組の一部)が三原町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  9. 1957年7月1日昭和32年三原郡湊町・松帆村・津井村・伊加利村・阿那賀村・志知村が合併し、西淡町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1957年7月5日昭和32年三原郡広田村の一部(納組・中条鮎屋組)が洲本市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  11. 1957年7月10日昭和32年三原郡広田村・倭文村が合併し、緑村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  12. 1957年10月1日昭和32年三原郡西淡町の一部(志知佐礼尾・志知松本・志知難波・志知中島)が三原町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  13. 1960年4月1日昭和35年三原郡緑村が町制を施行し、緑町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
  14. 2005年1月11日平成17年三原郡緑町・西淡町・三原町・南淡町が合併し、南あわじ市が発足した。種類:新設合併 出典:www.e-stat.go.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南あわじ市2005〜今
南淡町1955〜2005
福良町1889〜1955
沼島村1889〜1955
賀集村1889〜1955
北阿万村1889〜1955
灘村1889〜1955
阿万村→阿万町1889〜1955
三原町1955〜2005
榎列村1889〜1955
八木村1889〜1955
市村1889〜1955
神代村1889〜1955
西淡町1957〜2005
松帆村1889〜1957
湊村→湊町1889〜1957
津井村1889〜1957
阿那賀村1889〜1957
志知村1889〜1957
伊加利村1889〜1957
緑町1957〜2005
倭文村1889〜1957
広田村1889〜1957
上灘村1889〜1947

参考にした資料