今の新篠津村
北海道中西部、石狩平野の北にある、石狩振興局で唯一の村です。石狩川の西岸に水田が広がり、稲作を中心とした農業の村です。米のほか、野菜やアルストロメリアの花も栽培されています。村内にはしのつ湖があり、冬はワカサギ釣りの人が訪れます。しのつ湖は石狩川から分かれた三日月湖で、湖畔には温泉や公園、天文台があります。経済的な結びつきは、隣の岩見沢市と強いといわれます。
今の新篠津村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,044人です。今の区域で数えた1980年の4,144人とくらべると26.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.7%です。
主な産業:稲作を中心とした農業が基幹産業で、野菜や花の栽培も行われています。
特産品・名産
- 田舎風味噌村内産大豆100パーセントの味噌
- こめサイダー村の米「ゆめぴりか」を原料にした炭酸飲料
- 純米酒「大法螺」村の特産品として紹介される日本酒
見どころ・祭り
- しんしのつ温泉たっぷの湯しのつ湖畔の温泉
- しのつ公園キャンプ場がある公園
- しんしのつ天文台村内の天文台
- しのつ湖冬はワカサギ釣りで知られる
木ナナカマド花ハナショウブ新篠津村の木・花
新篠津村のなりたち
新篠津村(しんしのつむら)は、北海道石狩地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに新篠津村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は石狩郡に属していました。
「新篠津村」という名前
「シノツ」は、アイヌ語の「シンノツ」(山の崎)または「シノット」(河の集まる豊かなところ)に由来すると考えられています。篠津屯田兵村(今の江別市篠津)から分かれて独立するとき、地元は「東篠津村」という名を提出しましたが、北海道庁の意向で「新篠津村」に変わりました。
まちの成り立ち
新篠津の開拓は、1883年(明治16年)に元樺戸集治監の看守だった熊田直之が、農業をするために石狩川のほとりに住み始めたことが始まりとされます。1886年(明治19年)1月に江別村外3村戸長役場の管轄となりました。1896年(明治29年)2月16日、石狩郡篠津村(今の江別市篠津)から分村して新篠津村が置かれ、同月20日に戸長役場が開庁しました。1900年には市街地に17軒の街並みができています。1915年(大正4年)4月1日に二級町村制を施行し、初代の村長が選ばれました。1930年(昭和5年)には北村と境界が改められ、字袋達布が新篠津村に入りました。1945年(昭和20年)には、東京から拓北農兵隊12戸、静岡県から帰農隊23戸が入植しています。2005年(平成17年)に厚田村と浜益村が石狩市に編入されると、新篠津村は石狩振興局に属する唯一の村になりました。基幹産業は稲作を中心とした農業です。
年表
- 1896年2月16日明治29年石狩郡篠津村から分かれて新篠津村が置かれ、同月20日に新篠津村戸長役場が開かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年新篠津村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1930年10月昭和5年空知郡北村との境界変更で、字袋達布が新篠津村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。