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留寿都村るすつむら

留寿都村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

0町村から

今の留寿都村

後志地方の南東部、虻田郡にある村です。尻別岳のふもとに広がり、貫気別川などが流れます。馬鈴薯やアスパラガス、大根などの農業が行われ、ルスツリゾートの遊園地やスキー場が観光の中心です。赤い靴ふるさと公園や留寿都温泉もあります。村内には尻別岳や貫気別山、竹山などの山があり、真狩村から改称して生まれた村です。

今の留寿都村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,911人です。今の区域で数えた1980年の2,075人とくらべると7.9%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は25.8%です。

1,911人人口(2020年)
−7.9%1980年からの増減
131.4km²面積(概算)
15人/km²人口密度
25.8%65歳以上の割合
2,3881980199020052020
15歳未満 12.2%15〜64歳 62.0%65歳以上 25.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:馬鈴薯・アスパラガス・大根などの農業と、リゾートを中心にした観光が主な産業です。

特産品・名産

  • 馬鈴薯村の主な農産物
  • アスパラガス村の主な農産物
  • みそまんじゅう村の名産品として紹介

見どころ・祭り

  • ルスツリゾート遊園地やスキー場がある
  • 赤い靴ふるさと公園村内の公園
  • 留寿都温泉村内の温泉
  • 重兵衛沼村内の湖沼

木シラカバ、アカダモ花セタナリア(芝桜)留寿都村の木・花

留寿都村のなりたち

留寿都村(るすつむら)は、北海道後志地方の村です。

1920年の時点で、この区域の町村は虻田郡に属していました。

01920年の町村の数
0回合併・編入の回数
131km²今の面積

「留寿都村」という名前

「留寿都」は、アイヌ語の「ル・スツ」(道が山のふもとにあるの意)が変わった名です。もとは真狩村と呼ばれた村が、1925年(大正14年)2月1日に留寿都村へ改称しました。なお、1922年(大正11年)に真狩村から分かれていた真狩別村は、1941年(昭和16年)に真狩村を名乗っています。

まちの成り立ち

留寿都の開拓は、1871年(明治4年)に本願寺道路が開通し、3戸が移り住んだことに始まります。1889年(明治22年)には橋口文蔵が大農場を経営するため、開拓に取りかかりました。1897年(明治30年)7月1日に虻田村から分かれて、真狩村戸長役場が置かれました。1899年(明治32年)5月14日には倶知安町との境界が変わり、1901年(明治34年)10月には狩太村が分かれています。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行して、真狩村となりました。1910年(明治43年)3月には室蘭支庁から後志支庁の管轄に替わっています。1917年(大正6年)4月1日に喜茂別村が、1922年(大正11年)4月1日に真狩別村が分かれています。1925年(大正14年)2月1日に真狩村を留寿都村と改称しました。1922年に分かれた真狩別村は、1941年(昭和16年)に真狩村と改称し、今の真狩村になっています。留寿都村は今も合併せず、単独の村として続いています。尻別岳のふもとに広がり、ルスツリゾートがあります。

年表

  1. 1906年4月1日明治39年真狩村に北海道二級町村制が施行された。この真狩村は今の留寿都村につながる村である。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1917年4月1日大正6年真狩村から喜茂別村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1922年4月1日大正11年真狩村のうち字真狩別・知来別・御保内の地区が分かれ、真狩別村(今の真狩村)が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  4. 1925年2月1日大正14年真狩村が留寿都村と改称した。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

留寿都村1889〜今

参考にした資料