今のおおい町
福井県の南西部、嶺南の若狭地方にある町です。北は若狭湾の支湾の小浜湾に面し、大島半島を抱えます。中南部は頭巾山や八ヶ峰、三国岳など800メートル前後の山地で、町域の大半は山林です。北部の大飯地区は海辺、南の名田庄地区は南川に沿った山あいで、古くは京都へ通じる周山街道が通りました。海と山の両方を持つ町です。
今のおおい町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,910人です。今の区域で数えた1980年の9,156人とくらべると13.6%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.3%です。
主な産業:漁業や、ジネンジョ・漬物などの農産加工が営まれ、大飯地区には原子力発電所があります。
特産品・名産
- ジネンジョ名田庄地区の特産品
- 名田庄漬名田庄のブランドで売られる漬物
見どころ・祭り
- おおい町暦会館土御門家遺跡に関する陳列を行う
- 若州一滴文庫水上勉をテーマにした文学館
- うみんぴあ大飯海の駅などを備えた総合レジャー施設
- 小浜藩台場跡国の史跡
- 石山武田氏遺跡若狭武田氏終焉の地として知られる
木ヤマモモ花サクラおおい町の木・花
おおい町のなりたち
おおい町(おおいちょう)は、福井県嶺南地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。奥名田村・知三村・大島村・本郷村・佐分利村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今のおおい町になりました。
今の名前「おおい町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の知三村が約78km²だったのに対し、今のおおい町は約211km²と、およそ2.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は大飯郡・遠敷郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、遠敷郡は2006年(平成18年)3月3日に廃止されました。
「おおい町」という名前
町の名の「おおい」は、合併した大飯町の「大飯」をひらがなで書いたものです。大飯は古くからこの地方の郡の名でもあり、今も町は大飯郡に属しています。郡の名は、朝廷の食事をまかなう大炊寮とかかわりがあったことに由来するとする説があります。2006年(平成18年)3月3日に大飯町と名田庄村が合併して、おおい町が生まれました。
まちの成り立ち
おおい町は若狭地方の西部にあり、北は小浜湾に面し、町の大部分は山林です。北の大飯地区には大島半島があり、南の名田庄地区は南川に沿った山あいです。名田庄には京都へ通じる道が通り、室町時代には陰陽師の安倍晴明の子孫の土御門家が、応仁の乱を避けて移り住みました。
1889年(明治22年)の町村制で、大飯郡に佐分利村・本郷村・大島村が、遠敷郡に南名田村・奥名田村ができました。南名田村は1891年に知三村と名を改めます。1955年(昭和30年)1月1日、知三村と奥名田村が合併して名田庄村が生まれました。1月10日には加斗村の長井が本郷村に移り、1月15日には佐分利村・本郷村・大島村が合併して大飯町が生まれます。
2006年(平成18年)3月3日、大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が合併しておおい町が生まれ、遠敷郡はなくなりました。大飯地区には原子力発電所があります。名田庄地区はかつて林業が盛んでしたが、今はジネンジョや漬物が特産になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大飯郡に佐分利村・本郷村・大島村が、遠敷郡に南名田村・奥名田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年4月1日明治24年遠敷郡南名田村が改称して知三村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年遠敷郡の知三村と奥名田村が合併して名田庄村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年1月10日昭和30年大飯郡加斗村の一部(長井)が本郷村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年1月15日昭和30年大飯郡の佐分利村・本郷村・大島村が合併して大飯町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2006年3月3日平成18年大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が合併して大飯郡おおい町が発足し、遠敷郡は消滅した。種類:新設合併 出典:www.town.ohi.fukui.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。