今の小浜市
福井県の南西部、嶺南にある市で、若狭湾の内湾の小浜湾に面しています。北川・南川・多田川の流域に平地が開け、海岸線には内外海半島や黒崎半島が突き出します。若狭国の中心として古くから栄え、海産物を京や奈良へ送った御食国の一つです。江戸時代は小浜藩の城下町で、寺社や古い町並みが多く残ることから「海のある奈良」とも呼ばれます。
今の小浜市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,991人です。今の区域で数えた1980年の34,049人とくらべると14.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.0%です。
主な産業:漁業と水産加工、若狭塗や若狭めのう細工などの工芸、観光が主な産業です。
特産品・名産
- 若狭塗塗箸の生産は国内で多い
- 若狭めのう細工市の工芸品に挙げられる
- 若狭ふぐ小浜湾などで育てられる養殖ふぐ
見どころ・祭り
- 蘇洞門内外海半島に続く海蝕洞群。国の名勝
- 明通寺本堂と三重塔が国宝の古寺
- 小浜西組重要伝統的建造物群保存地区
- 若狭神宮寺お水送りで知られる寺
- 御食国若狭おばま食文化館小浜港にある食文化の展示施設
木モミジ花ツツジ小浜市の木・花
小浜市のなりたち
小浜市(おばまし)は、福井県嶺南地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。西津村・雲浜村・内外海村・国富村・今富村・遠敷村・松永村・口名田村・中名田村・宮川村・加斗村・小浜町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の小浜市になりました。
今の名前「小浜市」は、1920年にあった小浜町の名前を受け継いでいます。ほかの11の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は大飯郡・遠敷郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、遠敷郡は2006年(平成18年)3月3日に廃止されました。
「小浜市」という名前
「小浜」という名の由来ははっきりしていません。記録に初めて出てくるのは鎌倉時代の1265年(文永2年)の文書で、このころには地名として使われていました。若狭湾の奥の小浜湾に面した港町として育ち、江戸時代には小浜藩の城下町になりました。1951年(昭和26年)に小浜町が周りの7つの村と合併して市が生まれたとき、町の名がそのまま市の名になりました。
まちの成り立ち
小浜は若狭湾の奥、小浜湾に面した港町です。古代には若狭国府が置かれ、海産物を都へ納める御食国の一つでした。若狭彦神社や明通寺など古い寺社が多く残ります。中世には港町として栄え、江戸時代には京極氏、のちに酒井氏が治める小浜藩の城下町になりました。京へ海産物を運ぶ道は、のちに「鯖街道」と呼ばれます。
1889年(明治22年)の町村制で、遠敷郡に小浜町と雲浜村・西津村・内外海村・松永村・宮川村・国富村・遠敷村・今富村・口名田村・中名田村が、大飯郡に加斗村ができました。1935年(昭和10年)4月1日、雲浜村と西津村が小浜町に加わります。
1951年(昭和26年)3月30日、小浜町と内外海村・松永村・遠敷村・国富村・今富村・口名田村・中名田村が合併し、小浜市が生まれました。1955年(昭和30年)2月21日には宮川村と大飯郡の加斗村が編入され、今の市域になりました。加斗村の長井地区は、その直前に大飯郡の本郷村へ移っています。城下町の面影を残す小浜西組は、重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、遠敷郡に小浜町・雲浜村・西津村・内外海村・松永村・宮川村・国富村・遠敷村・今富村・口名田村・中名田村が、大飯郡に加斗村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1935年4月1日昭和10年遠敷郡の雲浜村と西津村が小浜町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年3月30日昭和26年遠敷郡の小浜町・内外海村・松永村・遠敷村・国富村・今富村・口名田村・中名田村が合併し、市制を施行して小浜市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年1月10日昭和30年大飯郡加斗村の一部(長井)が本郷村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年2月21日昭和30年遠敷郡宮川村と大飯郡加斗村が小浜市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。