今の上島町
愛媛県の北東部、広島県との県境に近い瀬戸内海に浮かぶ島の町です。25の島で構成され、弓削島、佐島、生名島、岩城島、魚島などがあります。周りは瀬戸内海国立公園に囲まれています。気候は温暖で雨が少なく、冬もほとんど雪が降りません。造船関連の産業のほか、柑橘類の栽培や海苔の養殖、漁業が営まれています。岩城島の積善山は桜の名所です。
今の上島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,509人です。今の区域で数えた1980年の12,669人とくらべると48.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.5%です。
主な産業:造船・船用部品などの製造業と、柑橘栽培・海苔養殖・漁業が中心です。
特産品・名産
- レモン岩城島などで作られる柑橘。レモン製品も特産
- 海苔町の海産物・特産品に挙げられる
- 藻塩弓削地区の特産品
見どころ・祭り
- 積善山岩城島の山。三千本桜の名所
- 定光寺観音堂弓削地区にある国指定重要文化財
- 祥雲寺観音堂岩城地区にある国指定重要文化財
- 三床灯台岩城地区にある灯台
木ウバメガシ花桜上島町の木・花
上島町のなりたち
上島町(かみじまちょう)は、愛媛県東予の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。弓削村・生名村・岩城村・魚島村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の上島町になりました。
今の名前「上島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の弓削村が約11km²だったのに対し、今の上島町は約29km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は越智郡に属していました。
「上島町」という名前
「かみじま」は、古くからこの地域一帯を指す名称でした。由来には2つの説があります。ひとつは、松山藩が三津浜より上にあたる岩城・生名を上島、下を下島と呼んだことによるとする説です。もうひとつは、中世に大山祇神社の寺社領だった三島七島(上島七島)のひとつ、上島に由来するとする説です。2004年(平成16年)の合併で、この名が町名になりました。
まちの成り立ち
江戸時代、現在の町域は松山藩と今治藩に分かれて治められていました。東西の瀬戸内航路の要衝で、商業と廻船業で栄えたと伝えられます。1889年(明治22年)12月15日の町村制で、弓削島などに弓削村、生名島に生名村、岩城島に岩城村が生まれ、1896年(明治29年)には弓削村から魚島が分かれて魚島村となりました。弓削村は1953年(昭和28年)1月1日に町制を施行して弓削町になりました。昭和の大合併では、この4町村は合併せず、それぞれ町村として続きました。2004年(平成16年)10月1日、弓削町・生名村・岩城村・魚島村の4町村が新設合併し、上島町が誕生しました。町域は25の島からなり、周りを瀬戸内海国立公園に囲まれていて、愛媛県でも最も北東に位置します。造船関連の産業が町経済の中心です。魚島地区は古くから鯛漁で知られます。弓削島・佐島・生名島・岩城島の4島は橋でつながっており、2011年に生名橋、2022年に岩城橋が開通しました。
年表
- 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、越智郡に弓削村(魚島を含む)・生名村・岩城村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年9月12日明治29年越智郡弓削村の一部(魚島)が分かれて魚島村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.ehime.jp
- 1953年1月1日昭和28年越智郡弓削村が町制を施行して弓削町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 2004年10月1日平成16年越智郡の魚島村・弓削町・生名村・岩城村が合併して上島町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。