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野田市のだし

1920年には9の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の野田市になりました。

9町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の野田市

千葉県の北西端にあり、利根川と江戸川に囲まれた細長い市です。南側の野田地域は醤油づくりと水運で発展し、北側の関宿地域には城下町の歴史があります。東武野田線沿いに市街地が広がる一方、川沿いや内陸には田畑が残ります。製造業と農業、住宅地が共存し、二つの川を通る人や物の動きが、地域の歴史と産業の成り立ちに深く関わっています。

今の野田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で152,638人です。今の区域で数えた1980年の112,753人とくらべると35.4%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.2%です。

152,638人人口(2020年)
+35.4%1980年からの増減
103.55km²面積(国土地理院)
1,474人/km²人口密度
31.2%65歳以上の割合
155,4911980199020052020
15歳未満 11.6%15〜64歳 57.2%65歳以上 31.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:しょうゆ醸造などの製造業と、枝豆や米などの農業が営まれています。

特産品・名産

  • しょうゆ市を代表する発酵食品。
  • 枝豆市内で盛んに栽培される特産野菜。
  • 黒酢米玄米黒酢を利用して栽培する市内産の米。

見どころ・祭り

  • 千葉県立関宿城博物館利根川と江戸川の水運などを紹介する博物館。
  • 清水公園花や遊びの施設を備える公園。
  • キッコーマンもの知りしょうゆ館しょうゆ醸造の工程を紹介する施設。

木ケヤキ花ツツジ鳥ヒバリ野田市の木・花・鳥

野田市のなりたち

野田市(のだし)は、千葉県東葛飾地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。七福村・旭村・梅郷村・二川村・木間ケ瀬村・川間村・福田村・関宿町・野田町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の野田市になりました。

今の名前「野田市」は、1920年にあった野田町の名前を受け継いでいます。ほかの8の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の野田町が約6km²だったのに対し、今の野田市は約103km²と、およそ16.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は東葛飾郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東葛飾郡は2005年(平成17年)3月28日に廃止されました。

91920年の町村の数
5回合併・編入の回数
104km²今の面積
2003年いちばん新しい合併

「野田市」という名前

現在の野田市の名は、1950年の合併前にあった野田町の名を引き継いでいます。2003年に関宿町を編入した際も、市名は野田市のままでした。語源ははっきりしていません。地名の起こりははっきりしていませんが、醤油づくりで発展した野田の地域名が、昭和と平成の合併を経ても自治体名として受け継がれています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、東葛飾郡に野田町・旭村・七福村・梅郷村・川間村・福田村・関宿町・二川村・木間ヶ瀬村が発足しました。今の市域につながる九つの町村です。川間村には1899年、利根川の流れを境に茨城県中川村の一部が加わり、県境をまたぐ変化もありました。

1950年5月3日、野田町・旭村・七福村・梅郷村が合併して野田市が成立しました。野田町が単独で市になったのではなく、一町三村を合わせた新設合併です。1951年には川間村の船形の一部が市へ移り、1957年4月1日には川間村と福田村の全域を編入しました。

北側では1955年7月20日、関宿町・二川村・木間ヶ瀬村が合併して新しい関宿町が成立しました。関宿は利根川と江戸川の水運を背景に、城下町として発展した地域です。一方、野田は醤油を江戸へ送る産業のまちとして歩みました。川の交通が、それぞれ異なるまちの性格を育てています。

2003年6月6日、関宿町が野田市へ編入されました。県内では平成の大合併の最初の事例となり、旧野田市と旧関宿町の地域が一つの市にまとまりました。昭和に別々に成立した二つの自治体が、平成に合わさって現在の野田市につながっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年東葛飾郡に野田町・旭村・七福村・梅郷村・川間村・福田村・関宿町・二川村・木間ヶ瀬村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.noda.chiba.jp
  2. 1889年4月1日明治22年茨城県西葛飾郡に中川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1896年4月1日明治29年茨城県西葛飾郡が猿島郡に統合され、中川村が猿島郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1899年茨城県猿島郡中川村の利根川以南の区域が川間村に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:Wikipedia
  5. 1950年5月3日昭和25年野田町・旭村・七福村・梅郷村が合併して野田市となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  6. 1951年1月1日昭和26年川間村の船形の一部が野田市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  7. 1955年7月20日昭和30年関宿町・二川村・木間ヶ瀬村が合併して新しい関宿町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  8. 1957年4月1日昭和32年川間村と福田村が野田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  9. 2003年6月6日平成15年関宿町が野田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

野田町→野田市1889〜今
関宿町1889〜2003
二川村1889〜1955
木間ケ瀬村1889〜1955
川間村1889〜1957
福田村1889〜1957
七福村1889〜1950
旭村1889〜1950
梅郷村1889〜1950

参考にした資料